あの時川でどうして溺れ死ななかったのか。バイクで転んで何メートルも吹っ飛んだのになぜ、すんでのところで回避できた交通事故など、死んでいても不思議ではなかったと思う事がいろいろある。
そのことを考えると、自分には何か分からないがやることがあるのだろうという気持ちにはなった。この世に生を受けたからには誰にも何らかの天命があると思っているが、それが何かを多くの人は分からないだろう。孔子でも天命を知ったのが五十であり、そのくらいにならないと分からないのかもしれない。
自分のやるべきこと、それを天命と意識するようになって20年くらい経つが、今もそれは変わらない。世の中を大きく動かすことはできないが、生かされている命であることを思うと投げ出す訳にはいかない。 (2019.12.17)