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本来の姿を取り戻す

「みんなの心に輝く学校をめざして」取り組んだ学校経営、「生き生きとした学校生活のために」取り組んだ生徒指導で感じた課題の解消を念頭に置いて教育問題などを考えます。

◇潔さは日本人の美徳である

 政治資金の私的流用、公私混同を追及され続けた東京都知事がついに辞職することになった。2度の離婚や愛人、過去の言動、著書など、諸々のことが暴露され人間性にまで話題が及んで多くの人を呆れさせてしまった。

 現在の奥さんとの間に生まれた2人の子どもは高校生と中学生なので、何が起きているのか分かるはずである。それだけに相当傷ついたことだろう。

 潔さは日本人の美徳と考えているが、子どもを守るということを優先したならもっと早く辞めることができたであろうし、傷口を広げることもなかったかもしれない。

 政界一の艶福家と言われるほどの若い頃の女性遍歴、厳しい他者への批判や非難、そして、連日報じられていたせこい振る舞いには、過去のブログ「職を全うするために」でも述べたが、孔子が君子の警戒すべきこととして言った箴言(若い時に警戒すべきことは色欲の過ちであり、壮年は闘争の過ち、老年は貪欲の過ちである。)が浮かんでくる。

 この度の騒動は論語とは真逆の都知事の生き方が招いたことであり、こんな生き方をしないよう子供達には道徳本としての古典である論語を読ませたいと改めて感じた。   (2016.6.21)

◇会議が多い学校にしてはならない

 年度当初は仕方がないとしても、年中会議が行われるような学校は教職員にとって苦痛であり、働く意欲も削がれるのか、自分の経験では活力のある雰囲気のいい学校はなかった。生徒指導上の問題もしばしば発生した。

 生徒と教師が一緒にいられる時間が短くなるのだから、そうなって当然かもしれない。会議が多い会社ほど失敗が起きやすいと聞いたが、学校も同じである。

 学校で会議が多くなるのは、教育委員会などから人権教育、特別活動、生徒指導、学習指導といった研究学校の指定(通常1・2年だが3年の時もある)をされたり、あるいは教育研究大会の会場校を引き受けた時には、連日のように会議が続くこともある。

 発表が近づくと、学校だけでは仕事が終わらないので、家に持ち帰り夜中の2時3時までという経験のある教職員は少なくないだろう。

 そんなに頑張ったのだからさぞかし成果が上がるかというとそうもいかない。生徒指導の研究学校の指定を受け、生徒指導を研究していた学校が荒れてしまったこともある。

 教職員が研究のための研究と感じるようなもので、頻繁に会議を開かなければならないもので、成果を上げることはできない。会議は最小限であるべきだろう。  (2016.6.14)

◇親は尊敬の対象

 退職して何年も経つと、「今頃学校は…」と考えることも少なくなるが、年度が変わる頃は学校を懐かしく思い出す。

 現職最後の中学校に赴任して初めての入学式(平成20年度)だったが、新入生に述べた以下のような内容のところで、せせら笑うような保護者の姿が目に入った。そこで、声を荒げるように気合いを入れて読み出すと潮が引くように静かになった。

 入学に当たり、新入生の皆さんにお願いしたいことを2つ述べます。1つ目は、家族を大切にし親を尊敬してほしいということです。
 世界中どこでも親は子どもにとって尊敬の対象です。愛情を注ぎ、皆さんの年になるまで育てるのは並大抵のことではありません。誰が考えても、それは尊敬に値することです。

 2つ目は、同級生はもちろん上級生との関係も深め、一生の友達をたくさん作ってほしいということです。
 そのためには、お互いに努力することが大切です。人間関係は、どちらか一方の努力だけで深まることはありません。もちろん先生との関係も深めて一生の師弟関係を築いてほしいと思います。

 この年の新入生の入学前の評判は芳しくなかったが、学年が進むとともに順調に成長した。この学年(平成22年度卒業)成人式(2016.1.10)については、過去のブログにも書いたが、全員起立して国歌を斉唱し、式辞や祝辞には静かに耳を傾け、誓いの言葉では代表が席に着くまで起立し続けるなど、とにかく立派で招かれた当時の職員や地域の役員は満足し誇りに思ったことだろう。  (2016.6.7)  

 

 

◇信なくば立たず

 東京都知事の政治資金の私的流用には驚くばかりである。甚だしい公私混同の実態に都民だけでなく多くの国民が呆れたことだろう。

 様々な報道から感じることは、若い頃からの不誠実、且つ利己的な生き方を改めることなく続けてきたということである。批判を浴びるのは当然だろう。

 若い頃ならともかく、老境に近づけば世の中や皆さんのためを思った行動が多くなっていくようでありたい。楽をしよう、得を取ろう、いい思いをしようとの行動をしていては人々の信頼を得られない。自分以外がそうなるように行動すべきだろう。

 孔子は、為政者と人民(及び人民相互)の信頼関係を打ち立てることが政治の要点で、信頼関係がないと人間らしい生活を立てることができない、人間でありながら信頼がないようでは何をしてもうまくいかない、と述べている。最早知事の職務を全うすることはできないだろう。

 言葉巧にどんなに上手に立ち回っても不正な行いは露見する。この度の騒動の決着はこれからだが、多くの人が晩節を汚すことなく誠実に生きることの大切さを感じ取ったことだろう。

 

 「民無信不立(民は信無なくば立たず)」                         

 「人而無信、不知其可也(人にして信無くば、その可なるを知らざるなり)

   (2016.5.31)

◇不正に道を譲ったら

 三菱自動車の燃費不正、空港の耐震化工事液状化防止)のデータ改竄、強固な地盤まで杭が届いてなかった横浜の傾きマンション(杭データの偽装と施工不良)などには呆れるばかりである。

 不正はやがて明らかになり、牛肉偽装事件で廃業した雪印食品、料理の使い回しなどで店を閉めた大阪の老舗高級料亭船場吉兆、食品偽装で廃業した北海道の食品加工会社ミートホープなどのようになる。

 企業は納期や生産性といったことも考慮しなければならないが、こんなことをしたら会社が潰れてしまうと激しく抵抗するような正義感の強い職員はいなかったのだろうか。意見を言ったら居られなくなるような職場だったのだろうか。

 私の学校経営では、積極的に意見を述べる職員の育成とその環境をつくることを重視した。積極的に意見を述べられる職場は活力に溢れ、それぞれの能力が発揮されるのである。したがって、たとえどんな意見でも意見は意見として尊重し、意見を述べたことによって不利益になるような対応は絶対にしなかった。

 どのような経過をたどって不正が行われたのか知らないが、正義の道を不正に譲った代償はあまりにも大きい。  (2016.5.24)

◇生徒指導(32)…意識の問題と嘆いているわけにもいかない

 中国で何年も暮らしている人ならともかく、観光で何日間か滞在したくらいではたくさんの車が行き交うあの広い道路の横断は難しいだろう。

 仲間達が道路を横断し、一人取り残された時は横断することができず、中国人の集団に加わり何とか横断したのである。

 横断歩道を歩いていた時に途中で信号が変わったことがあった。すると車は歩行者がいようがお構いなく動き出したのである。たまたま観光案内をしてくれていた中国人が傍にいたので、どうしたらいいか尋ねると、「動いてはダメ、じっとして」と言われたのである。前後をかなりのスピードで車が行き交う中、信号が変わるまで道路中央で待っている間はかなりの恐怖を感じた。

 夜間に無灯火バイクが目の前を通り過ぎたり、歩道を歩いていると、後ろから来たバイクに警笛をならされて端によけさせられたり、中国の交通事情はかなり無秩序のように思えた。日本の場合は中国に比べれば秩序があるが、自転車運転に関しては大人も子どもも酷いと感じることが多い。

 止まれの標識では止まって左右の確認をする。雨の日は合羽を着用して傘差し運転をしない。車道や歩道の右側通行をしない。信号無視、夜間の無灯火運転、並進や二人乗り、イヤホンで音楽を聴きながらの運転はしない。右左折などで道路を横切る時は前後方をよく確認する。ヘルメットを着用し安全運転を心がけるといった指導はどこの学校でも行われているはずだが、ルール無視も多く歩行者もドライバーも危ない目にあったことが少なくないだろう。

 危ない目に遭って学校に抗議(指導しているのか)してくる人がいるが、指導の事実を説明すると、冷静さを取り戻し電話を切るのである。

 自転車の交通違反による事故多発、厳罰を求める声に道路交通法が改正(2015年6月1日)されたが、必要な改正だった。学校は年に何回も指導していることだが、諦めずに今後も諸々工夫をしながら意識が高まるようにしていかなければならないだろう。   (2016.5.17)

◇見過ごすことはできない

 常磐道で起きたバスと乗用車の正面衝突事故(平成28年5月4日)は、乗用車に乗っていた母親と6歳の子どもが死亡する痛ましいものだった。

 事故現場は片側1車線で中央をポールのみで仕切った対面通行部分である。高速道路での対面部分は、対向車が中央を越えて来たら大事故は避けられないと誰もが緊張する場所だろう。

 台湾の高速道路では、いざとなったら戦闘機などの離発着ができるように中央分離帯を設けず、コンクリートブロックやガードレールで仕切られている部分があるが、簡単に越えられそうにないものだった。対面通行部分での大事故を防ぐにはそのくらいのことをすべきだろう。高額な料金を取りながら、ポールのみの仕切りでは安全軽視と言わざるを得ない。

 対面解消までの仮のものだから仕方がないと考えていたが、もう何年もその状態が続いている所も少なくない。危険なことは危険と声を上げ見過ごしてはならない。 (2016.5.10)