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本来の姿を取り戻す

「みんなの心に輝く学校をめざして」取り組んだ学校経営、「生き生きとした学校生活のために」取り組んだ生徒指導で感じた課題の解消を念頭に置いて教育問題などを考えます。

◇江田島五省

 結婚式で江田島五省を引用して祝辞を述べられた方がいた。興味深い内容だったのでその方に挨拶し話を聞かせてもらった。後日、額に納められた五省が届いた。

 〇至誠に悖(もと)るなかりしか
 (誠意に欠けたことはなかったか)

 〇言行に恥づるなかりしか
 (恥ずかしい言動はなかったか)

 〇気力に缺(か)くるなかりしか
 (気力に欠けたことはなかったか)

 〇努力に憾(うら)みなかりしか
 (努力が足りなかったことはないか)

 〇不精に亘(わた)るなかりしか
 (怠けてものぐさしたことはなかったか)

 五省は、広島県江田島にあった海軍兵学校の精神を代表するものとのことで、現在は海上自衛隊に受け継がれている。毎晩自習終了後、兵学校と変わらぬスタイルでその日一日の自分を顧み修養に励んでいるとのことである。

 アメリカのアナポリス海軍兵学校でも五省が教育に活用されているとのことだ。戦後やって来た第7艦隊の司令官(ウイリアム・マック中将)は、五省の精神に感銘を受け、やがてアナポリスの校長となり訓育の資として採用した。

 戦前を否定する風潮は今も続いているようだが、全てが悪かったわけではない。現在に生かせるものは大いに生かしたいものだ。  (2016.5.3)

◇生徒指導(31)…家庭の指導力を生かす

 大都市のことはよく分からないが、地方では登下校や部活動などの移動手段に自転車を利用することが多く、ヘルメットの着用を義務づけている。何十年の歴史があるのでヘルメットの有用性に疑問をもつ人はいない。

 車に撥ね飛ばされ、見ていた人が命はないなと感じた事故だったが、ヘルメットを着用していたためにかすり傷で済んだ例もあるが、着用していたならと感じた重大事故もある。

 夏季になると、ヘルメット着用は生徒にとって特におっくうなのかもしれない。顎紐をゆるめ、あるいは前かごにヘルメットを入れ自転車に乗る生徒を見かけることも少なくない。

 保護者から、「登下校や部活動ではヘルメットを被るよう生徒に指導するのに、なぜその他の時は指導しないのですか」と聞かれたことがあった。学校も実はそうしたいが、「登下校や部活動ですらきちんと(全員に顎紐までしっかりしめさせる)ヘルメットを被らせることができないのにその他の時までできない。教職員には精神的にも身体的にもその余力はない」ので、家庭でやっていただくしかないと答えたのである。

 学校から年々余裕がなくなり家庭の期待に応えられないことも多い。学校が多くを指導できないなら家庭の力を引き出すしかない。今までもこれからも学校はそのための工夫が必要である。 (2016.4.26)

◇恒産なくして恒心なし

 連日のように報じられる事件には辟易する。乳幼児の虐待や殺害、死体損壊遺棄、妻、親、祖父母の殺傷など、衝撃的な事件ばかりである。

 たくさんの事件の中で特に強い憤りを感じるは、抵抗すらできない乳幼児や集団でのむごい仕打ちなど、卑怯極まりない犯罪である。極刑で報いるべきだろう。

 加害者は未成年や高齢者など様々だ。職業については定職に就いている者もいるが、ほとんどは職業不詳、自称自営業、無職などと報じられ定職がない。

 孟子は、恒産(一定の資産や安定した職業)がなくても恒心(常に変わらぬ正しい心)をもっていられるのは士(学問修業をした立派な人)だけであり、一般の人々は恒産がなければ恒心をもつことができない。勝手気ままに悪い行為をしてしまうと言ったが、そういうことなのだろう。


 孟子曰く、「恒産無くして恒心有る者は、惟(た)だ士のみ能(よ)くするを為す。民の若(ごと)きは則ち恒産無ければ、因(よ)りて恒心なし。苟(いやしく)も恒心無ければ、放辟(ほうへき)邪侈(じゃし)、為さざる無きのみ。」


 日本は未だ長い不況から抜け出ていない。雇用は改善してるとは聞いても、非正規職員では安定した職業とは言えないだろう。正規雇用を増やしている企業を減税するなどして応援したいものである。かつては終身雇用社会だった日本を壊したのは大きな間違いと今更ながら感じるのである。  (2016.4.19)

◇人事(3)…人の道に背くような人事であっては

 毎年のことだが、人事異動では管理職登用で特に疑問に思うことがある。職員に信頼がない教頭を校長に昇格させるなど、論外の人事が過去にあったが、多くは教頭の登用である。

 通常、教頭は教務主任から昇格する。教務主任になれば数年後には教頭になると本人も周囲も考えるのが普通だろう。教頭試験に不合格ならば仕方がないが、何年も教務主任を務めているのに昇格せず、若くて経験も少ない人が次々に昇格していく状況には、本人は相当にショックであろうしプライドもいたく傷つくだろう。

 過去のブログ「どんなに有能であっても」で、年齢や経験は管理職登用の重要な要件であるが、それら優先であってはならないし、逆にそれらが考慮されていないような人事も問題と述べたが、その点はどうなのかと考えてしまうのである。

 教務主任、学年主任、学習指導主任、生徒指導主事、進路指導主任など、主任等に関する人事は教育委員会の承認が必要なため、年度の切り替えで各学校は人選し承認願いを提出すると承認(4月1日付)で戻ってくる。教務主任全員を教育委員会が指名(選任)するところもあるが、多くは一部だろう。したがって、主任等の人事は実質校内人事ということになる。

 力量不足や怠慢など、任に耐えない教務主任であれば何年もその職務を任せるわけにはいかない。新年度には解任すべきである。それができないのであれば、校長としてあまりにも無責任である。教育委員会の了承がないとできないこともあるかもしれないが。

 教務主任を何年も務めているということは、その仕事ぶりに問題はないということである。問題がないのに昇格しないような人事は人の道に背く思えるのである。   (2016.4.12)

◇子どもの卒業式などと重なっても

 小中学校の卒業式も終わり、4月に入れば入学式である。卒業式や入学式にはほとんどの保護者が参列するが、教職員の場合には保護者として参列できないこともあるだろう。

 日時が勤務校と違えばいいが同じになることも多い。病気や怪我などは別だが、卒業学年の担任だったりしたら休むことができない。音楽科の場合には、国歌や校歌、式歌の指揮伴奏もあり特に休みにくい状況がある。

 教職員の場合には、夫婦が共に教職に就いていることが多い。小学校と中学校というように勤務が別れていれば少なくともどちらかは参列できるのだが、両方が無理の時には祖父母が代理をするようなこともある。

 卒業式や入学式だけでなく、運動会といった行事でも出向くことができない時もあるが、教職員も人の子の親、何とかしなければと思った。

 そこで、次年度の校務分掌や組織作りでは、そういったことがないよう家庭の事情に配慮したのである。音楽科については、指揮や伴奏を生徒に担当させることを考えた。現職中にそういう機会はなかったが、中学生ならできると思う。わが子の卒業式などに教職員も参列できるような学校でありたいものだ。  (2016.4.5)

◇少子化問題の解消のために

 女性は子どもを二人以上産むことが大切と話した中学校長の発言(全校集会での)が物議を醸しているが、子どもの減少に歯止めがかからないのは現状では当然かもしれない。

 子どもを育てていくためには多額の費用が必要で、子どもを何人も産めないのは経済的な事情があるからだろう。奥さんが専業主婦のままでは家計を維持できないといったこともあってか共働きは多くなる。

 匿名ダイアリーに投稿された「保育園落ちた日本死ね」と題した記事は、あまりにも品がなく、また、日本人が日本死ねと言うのも変で違和感を覚えるが、保育園で子どもを預かってもらえなければ働けないのも事実である。保育園を増やし待機児童を解消していくことは大事である。

 しかし、子どもを保育園に預けることができ、経済的な事情も改善したとしても、子どもの数は増えないだろう。問題はそれだけではない。

 仕事をしていればこの日はどうしても休めない、休むわけにはいかない日がある。そんな時でも子どもの具合が悪くなれば休まざるを得ない。子どもの具合は悪くなくても、小学校や保育園でインフルエンザなどが流行しクラスが閉鎖になったら登校登園はできない。こういう場合でもどちらかが休まなければならなくなる。祖父母などに預かってもらえればいいが、それができない人も多いだろう。こんな時に預かってくれる体制(人や施設)を整えることも大事だろう。

 子どもをたくさん産めば、人生の大半が子育てに明け暮れることになるといった思いや生き方に対する価値観の変化も子どもが増えない大きな理由とは思うが、どちらが仕事を休むかで夫婦喧嘩が起きるようなことは少なくともなくしたいものである。しばしば喧嘩になれば、次はもう要らないという気持ちになるかもしれない。少子化問題の解消は容易ではない。  (2016.3.29)

◇足利市教育長(5)…混合名簿を男女別に変更

 20年程前までは、男女別(男子が先、女子が後)の生徒名簿を使用していたが、今では県内のほとんどの学校が男女混合だろう。

 男女共同参画社会実現のためということで足利も混合名簿を使うようになったが、学校の自主的判断ではなかった(教育長の指導もあった)ように思う。男女別か混合かの県教委調査は、現場にとってかなりの圧力で混合名簿を使用するようにと言われているようなものだったが、その頃県教委に勤務していた方にその辺のことを尋ねると、混合名簿の使用を意図したものではなく、県会議員の質問に回答するための調査ということだった。

 足利北中は平成17年度、西中は21年度から男女別名簿に戻したが、以前と違って女子を先、男子が後の名簿にした。各種検診や教科指導などで男女別名簿が必要だった職員は不便を強いられていたので喜んでいた。

 北中が名簿を男女別に戻そうとしていることについても、教育長の対応は今まで通り一貫していたように思う。市教委が混合名簿の使用を指導した経緯があったことを考えたら、容認できないとの指導があっても仕方がないことだった。

 男女別に戻して3年目に入った北中学校で教職員に調査したところ、約8割が男女別の方が使い易いと答えた。また、男女別名簿は男女別共同参画社会を阻害しないし今後混合に戻す必要はないと圧倒的多数が答え、男女別に戻してよかったという思いになった。


男女混合名簿を男女別に戻すことには市教委も抵抗があったようで、再考を(課長に)促されたが、学校評議員会の賛同を得てやろうとしていることなので撤回の意思がないことを伝えると渋々ながら了承された。
 平成11年の頃から混合名簿が使われるようになったが、当時の教育長(故人)から名簿についての話が何度もあり、混合名簿にしないわけにもいかないと話した校長がいたことを思うと、再考を促す市教委の対応は不思議なことではない。やはり教育長が偉かったということだろう。 (2016.3.22)