学区内の小学校を訪問した折、「児童が互いに〇〇さんと敬称を付けて呼び合うようになった。それは本校の人権教育の成果」と説明されたことがある。男子児童の君や低学年のちゃんも、さんで統一され呼捨てはなくなったようである。
中学校での生徒の呼称は、日常的に男子は君、女子はさんであり、入学式や卒業式など特別な時でも変わりはなかった。伝統的な呼称を代えさせたこと、それを人権教育の成果との説明には違和感を覚えた。
ロナルド・レーガン大統領(故人)と中曽根康弘元総理は、互いに「ロン」・「ヤス」と呼び合ったそうだ。プーチン大統領と安倍晋三総理も、「ウラジミール」・「シンゾー」と呼び合う関係だそうだが、そう呼び合っても関係が悪化することはないようである。
アメリカでのホームスティ体験では、ホストファミリーは私を外では姉妹都市交流で訪米したプリンシパルとファミリーネームで紹介した。家に戻るとファーストネームで呼ばれたが悪い気はしなかった。
スポーツ大会での選手紹介や呼称は、〇〇さんより〇〇選手の方が望ましいと感じることがある。また、政治家のテレビ討論などでは、総理大臣に意見を求める場合であっても、〇〇さんと指名する司会者がいる。〇〇総理はどう思われますか、などと意見を求めるべきで、〇〇さんでは総理大臣という立場に敬意を表したことにならない。
時や場所柄をわきまえ他への配慮を怠ってはならないのだが、敬称で人権を量り語るものではない。いい年なのに、ちゃん付けで呼んだりする間柄も大切にされなければならない。 (2015.4.6)