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本来の姿を取り戻す

みんなの心に輝く学校を目指し、中学校長として取り組んだ学校経営や教育課題などについての考えを述べます。

◇国家存亡の危機が迫っている

 自民党石破茂議員は、安倍総理が意欲を表明した憲法9条の改正と2020年施行を批判したが、いったい何を考えているのだろう。

 安保法制の時には、国民の理解が進んできたと言い切る自信がないなどと、背後から銃撃を加えるようなことをしたが、今回は北朝鮮と気脈を通じているのかと疑いたくなる。

 「わが党の議員が自信を持って国民に対し、わが党はこう考えると説明できなくて、勢いで憲法を改正していいはずは全くない」との主張は国民を愚弄しているようなものだ。

 そんな説明など聞きたくはない。このままでは座して死を待つことになると危惧するから憲法改正に賛成する人が急増しているのである。日本の防衛のために必要なことはすぐやるべきだし、躊躇してはならない。

 中国の横暴ぶりは増すばかりであり、北朝鮮では金正恩委員長に手ばたきばかりで変化の兆しなど微塵も感じない。改憲に反対するような議員や党は間違いなく国民の信頼を失うだろう。

◇危機的状況を早く改善しよう

 不正に道を譲ったらその代償はあまりにも大きいと過去のブログに書いたが、不正ではなかったとしても、放置したら大変なことになることがどこの会社(職場)にもあるはずである。経験を積んだ社員なら、そういうことに気づいていることだろう。しかしながら、そのまま放置していることも少なからずあるのではなかろうか。

 福島の原発事故もスマトラのような大地震が起きて津波が押し寄せたらどうなるか、そして、どうすべきかも分かっていた人はいただろう。しかし、そのための対策や訓練は行われなかったようである。声を上げても取り上げられず、あるいは上げづらい雰囲気があったりすれば問題だが、東電はどうだったのだろう。

 笹子トンネルのコンクリート製天井板の落下事故(平成24年12月2日)も、点検を目視で済ませたところがあったとのことだが、そんな点検に疑問を感じていた人はいなかったのだろうか。事故前に何度も通行したが、その時落下しても不思議なことではなかった。

 教員の勤務実態調査が公表(4月28日)されたが、それによると、2016年の中学校教員の57%が過労死の目安とされる月80時間を超える時間外労働をしているとのことだった。1週間あたりの平均勤務時間は、10年前と比べ5時間12分増えて63時間18分だった。過酷な勤務実態は随分前から指摘されているのに、一向に改善されないばかりか逆に増えてしまっている。

 学校現場に横たわる諸問題は数多い。どうしたらいいのかを分かっている人も少なくない。ではどうして改善されないのだろう。それは、分かっていても声を上げず、上げたとしても自ら行動できないからでもあろう。私は、「世の中を変えようと行動した人だけがこの世の中を変えられる」を信条としてきたが、改善できる立場の人が声を上げて行動すれば改善はできるのである。

◇津波に対する避難訓練はなかったのか

 東日本大震災で大学の同級生が母親とともに亡くなった。車での避難の途中に津波に飲み込まれたのだった。同級生が特に親しみを感じていた男なので、生きていれば毎年どこかに集まっては同級会が開かれていたことだろう。

 後刻同級生たちでお悔やみに伺ったが、その時石巻市立大川小学校が大変な状況にあることを知った。全児童108人の7割、74人が死亡・行方不明。教職員10人を合わせると84人が被害に遭ったのである。

 地震が起きた時(14時46分)帰りの会の最中だったということだが、児童を校庭に集めた後は避難することなく30分近くも待機させ、5分もあれば避難完了する裏山には行かなかったのである。

 地震が起きた時、私は校長室にいたが、あまりにも長く大きな揺れ、窓から見えた大きな煙突が壊れて落下する様子に、これはただごとでは済まないだろうと思った。震源地から離れていたこともあってか校舎は幸い無事だった。しかし、校舎を繋ぐ連絡通路が壊れて通行できなくなった。

 3月11日は卒業式の翌日で、1・2年生が登校していた。生徒には崖崩れ、塀などの倒壊、落下物、交通事故等に十分注意するよう促し下校させたが、海沿いならば津波を真っ先に心配しただろう。サイレンが鳴り、広報車が高台への避難を呼びかけるなど、大津波警報が伝えられる中で、校庭に待機させた判断には、どう考えても納得できない。体験したことがないあの大きな長い揺れに我が家は倒壊しているかもしれないと思ったくらいだったが、被災地はもっとすごかったはずである。ここにいたら死ぬと言った児童がいたとのことだが、教職員はどう思っていたのだろう。納得して行動(避難)したのだろうか。

◇「上に居て寛ならず」では

 生徒指導上の困難校として評判の中学校に、校長として異動することになったある校長はその学校を改革するとの強い思いをもって赴任したとのことだったが、数年間の在職中最後まで思うようにはならなかった。

 断片的に入ってくる情報だけでは、どうして改善しないのかを判断することはできないものだが、入ってきた一つの情報だけでその学校がよくなるはずがないと感じたことがあった。それは、校長が職員を叱りつけることが多く怒鳴り声がしばしば聞かれるということだった。

 以前のブログで、管理者を含めた教職員の心構えとして威張ってはならないと述べたが、威張る人は相手が逆らえないことを知って威張るのである。この学校の校長と職員には信頼関係は生まれないし、殺伐とした雰囲気の中では教育の成果など期待できないのである。

 教頭時代に職員から総すかんを食っていたある校長は、教頭には特に威圧的だったらしく、あと1年一緒だったら病気になっていたと語った人もいたくらいで、その他の教頭も相当にストレスを溜め込んだようである。「教頭は、校長を助け、校務を整理し、及び必要に応じて児童生徒の教育をつかさどる。(学校教育法)」とあり、校長の補佐という立場もあるので忍耐を強いられる。

 このような校長の下では気持ちよく働けないだろう。学校から出る書類には校長印が必要なものが多い。校長が不在でなければ、通常、印をいただくために職員は校長室に行くことになるが、嫌な思いをした職員は教頭に印をもらってきてと頼むことになる。自分で行けばと言われても行かないのである。教頭だって行きたくはないだろう。

 孔子は、人の上に立って寛容さがなく、礼儀作法が形だけで恭敬の気持ちがなく、葬式に臨んで悲しみに欠けているなどは、全く見どころがない。ほんとうにしょうがないと述べているが、寛容さは上に立つ者がもたなければなければならない性質だろう。


 子曰く、上(かみ)に居(い)て寛(かん)ならず、礼を為して敬せず、喪に臨んで哀しまずんば、吾何を以ってかこれを観んや「子曰、居上不寛、為禮不敬、臨喪不哀、吾何以観之哉」

◇政局にすることが目的だったのか

 森友学園の問題で、民進党などの野党は総理や昭恵夫人を追及し続けている。メディアもそれを連日大きく取り上げ、国会はこの問題のみに時間を費やしているようにさえ感じる。

 総理の口からもう止めようと言うわけにもいかないだろうから、まだまだこの問題は終息しないのかもしれない。いい加減にしてほしいと思っている人には政治家への腹立たしい思いが募ることだろう。

 問題の発端となった国有地の安値売却、小学校の許認可の問題より総理からの100万円の寄付の有無といったことに焦点が移っているように思う。ここまで来ると、この問題は政局にするとの意図をもって取り上げられたのかもしれないと思うのである。

 国会中継を見ていると、質疑というよりイチャモンをつけていると感じてしまうのだが、北朝鮮からミサイルが飛んできたらどうするのかといった市井の不安などどこ吹く風である。安全保障や経済など、克服すべき課題は山積しているはずである。日本の未来は今にかかっているのだから、与野党はそのために知恵を出し合うべきであり、政局に明け暮れるような国会にしてはならないだろう。

◇尊い仕事なのだが

 職業に貴賤上下の別はなしとは言われるが、人を育てる仕事は特別でひときわ尊いと思っている。そう思っているのに、教師を希望する高校生や大学生に教師になることを強く薦めることができない。それがとても残念である。

 38年の教職経験で感じていたことは、教職員を含め教育関係者にあまりにも多忙な教育現場を改善するという気概に欠けていたことである。「昔から教育現場は忙しかった、忙しいのは当たり前だ。ゆとりとは子どものゆとりであって教師のゆとりとは聞いていない」などと発言する年輩職員や管理職もいたが、こんなことでは改善は無理である。忙しいという字は心を亡くすと書くが、心を亡くす状況を放置してはならない。

 やればやる程おもしろくなるのが仕事なのだそうだが、納得できないこと、あまり意味のないようなものはどんなにやってもおもしろくなるはずがない。ストレスを溜め込むだけだろう。全国で毎年5千人程が精神疾患で休職している状況はあまりにも異常である。

 難関の試験に合格して採用されたのに、教職を去った話を伝え聞いたり、命を絶ったという報道には暗い気持ちにさせられる。上意下達ではなく現場からの教育改革、どうしたらいい学校ができるのか、働きやすい学校になるのかといったことを優先して改革することが大事である。教師をめざす若者に胸を張って教育の魅力を語りたいものである。

◇部活動は大切な教育活動だが(3)…部員の思いを把握していれば

 部活動には人生(哲学)が詰まっていると過去のブログに書いたが、部活動を通して人生の指針となるようなものをつかみ取ってほしいものだ。そのためには部活動が健全に運営されなければならない。

 新年度になり、新入生が加わると各部の活動は活気づく。2年生は上級生として、3年生は最上級生としての自覚も出て、それぞれ更に成長していく。したがって、それまで同様の指導が続いていくが、友達をつくりたい、楽しい時間を過ごしたい、体力をつけたい、今まで続けてきたのでもっと上手になりたい、やってみたかった、兄弟や父母から勧められたといった新入生の入部動機、部活動への期待や不安などを知っておくことは重要であり、また、上級生の思いの変化も把握できたら部活動を見直し健全な運営に役立つだろう。

 中学生になると、部活動で忙しくなり、それまで習っていたピアノや書道、算盤、水泳など、続けられなくなって止めたという話をしばしば耳にするが、中学生になっても続けられるよう配慮したいものだ。続けるために活動日に休むことがあってもそれを容認する雰囲気があったらどんなに救われることだろう。

 長距離を走る人間には、最初から勝負で走るレーサータイプ、マイペースで走り、最後に余力があったら全力を出すランナータイプ、勝負度外視でジョギングのように走るジョガータイプの3つがあるとのことだ。強くなって選手になり、試合で勝ちたいと考える部員もいればジョガータイプの部員もいる。部活動は学校や指導者側の視点だけでなく、部員の視点にも立って考えていくことが大切だろう。