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本来の姿を取り戻す

「みんなの心に輝く学校をめざして」取り組んだ学校経営、「生き生きとした学校生活のために」取り組んだ生徒指導で感じた課題の解消を念頭に置いて教育問題などを考えます。

◇課題がなければ設定の必要はない

 学校課題は大学生の卒業研究のような研究課題でもないし、研究学校で設定されるような研究主題でもない。教育活動を行う上で解決しなければならない課題があればそれが学校課題だろう。しかし、そう考える学校は少ないかもしれない。

 「個性を生かし、課題に取り組む生徒の育成指導に生きる評価の工夫を通して」、教職7校目の中学校の学校課題(平成16年度、足利北中)である。何年間も全く同じで課題の解説も設定の経緯も記載がなかった。教職員にとっては設定されていただけの課題でしかなかったように思う。他校の課題も同じようなものだった。

◆輝きのある生徒・根気強くやりぬく生徒の育成」(I中)
◆自ら課題を持ち、主体的に学習に取り組む生徒の育成」(S中)
◆一人一人の個性を伸ばし、心豊かな生徒を育成する互いに高め合う集団活動を通して(K中)
◆一人一人の心の中を理解し、支え励ます教師(T中)
◆生きる力をはぐくむ教育課程の編成と指導法の改善一人一人の学びとる力を育てる授業の改善をめざして(KY中)
◆互いに励まし合い、困難を乗り越えられる生徒の育成生徒の悩みや願いを生徒の目線で聴ける教師(A中)
◆豊かな心をもち、逞しく学ぶ生徒の育成(SA中)

 研究という視点に立つと研究主題のようになってしまうのかもしれない。解決しなければならない課題と考えると、「自他を尊重し行動する」、「自分で考え正しく判断できる」、「互いに高め合い根気強く取り組む」といった文言が入っていれば、生徒の多くが「自他を尊重して行動しない」、「自分で考えず正しい判断ができない」、「互いに高め合うことがなく根気強く取り組むことがない」ので設定したということになり滑稽である。

 過去のブログで「チャイムとともに学習を開始する」、「授業開始までに教科書ノートを開いておく」、「教科書(英数国社理)は毎日持ち帰る」といった具体的課題が望ましいと書いたが、課題が特になければ設定の必要はない。研究主題のような課題を設定したのではブラックの解消など遠のくばかりである。  (2021.8.1)