どこの学校の教育計画でも、探せば「感化」という言葉が一度や二度出てくるのではなかろうか。教育界は感化ということをとても大切にしている。
30年以上も前のことだが、「先生はセイシンの先生だね」と言われたことがあった。瞬間、何のことだか分からなかったが、「清新」であるはずはないし、「聖心」であるはずもない。「精神」の先生という意味だった。
教師が自分のことを、「精神の教師です」と口にでもしたら、どういうことになるだろう。軽蔑されるのではないかと思う。自分たちの教育活動を、「感化による教育です」とでも言ったら同じことになるのではなかろうか。感化という言葉を口にするのは職員室だけにすべきだろう。
足利市の学校教育指導計画には、教師は薫陶(くんとう)(=その人の優れた人格で、他人を知らず知らずのうちに感化し、立派な人間にすること)という考え方を念頭に、専門性や人間性を磨くことが大切であるとの記述がある。感化にはいい感化もあれば悪い感化もある。したがって、感化よりも薫陶は味わい深い崇高な理念であると思う。薫陶も、口にするのは職員室だけにすべきだろう。 (2013.7.7)