にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村

本来の姿を取り戻す

「みんなの心に輝く学校をめざして」取り組んだ学校経営、「生き生きとした学校生活のために」取り組んだ生徒指導で感じた課題の解消を念頭に置いて教育問題などを考えます。

◇人事(3)…人の道に背くような人事であっては

 毎年のことだが、人事異動では管理職登用で特に疑問に思うことがある。職員に信頼がない教頭を校長に昇格させるなど、論外の人事が過去にあったが、多くは教頭の登用である。

 通常、教頭は教務主任から昇格する。教務主任になれば数年後には教頭になると本人も周囲も考えるのが普通だろう。教頭試験に不合格ならば仕方がないが、何年も教務主任を務めているのに昇格せず、若くて経験も少ない人が次々に昇格していく状況には、本人は相当にショックであろうしプライドもいたく傷つくだろう。

 過去のブログ「どんなに有能であっても」で、年齢や経験は管理職登用の重要な要件であるが、それら優先であってはならないし、逆にそれらが考慮されていないような人事も問題と述べたが、その点はどうなのかと考えてしまうのである。

 教務主任、学年主任、学習指導主任、生徒指導主事、進路指導主任など、主任等に関する人事は教育委員会の承認が必要なため、年度の切り替えで各学校は人選し承認願いを提出すると承認(4月1日付)で戻ってくる。教務主任全員を教育委員会が指名(選任)するところもあるが、多くは一部だろう。したがって、主任等の人事は実質校内人事ということになる。

 力量不足や怠慢など、任に耐えない教務主任であれば何年もその職務を任せるわけにはいかない。新年度には解任すべきである。それができないのであれば、校長としてあまりにも無責任である。教育委員会の了承がないとできないこともあるかもしれないが。

 教務主任を何年も務めているということは、その仕事ぶりに問題はないということである。問題がないのに昇格しないような人事は人の道に背く思えるのである。   (2016.4.12)

◇子どもの卒業式などと重なっても

 小中学校の卒業式も終わり、4月に入れば入学式である。卒業式や入学式にはほとんどの保護者が参列するが、教職員の場合には保護者として参列できないこともあるだろう。

 日時が勤務校と違えばいいが同じになることも多い。病気や怪我などは別だが、卒業学年の担任だったりしたら休むことができない。音楽科の場合には、国歌や校歌、式歌の指揮伴奏もあり特に休みにくい状況がある。

 教職員の場合には、夫婦が共に教職に就いていることが多い。小学校と中学校というように勤務が別れていれば少なくともどちらかは参列できるのだが、両方が無理の時には祖父母が代理をするようなこともある。

 卒業式や入学式だけでなく、運動会といった行事でも出向くことができない時もあるが、教職員も人の子の親、何とかしなければと思った。

 そこで、次年度の校務分掌や組織作りでは、そういったことがないよう家庭の事情に配慮したのである。音楽科については、指揮や伴奏を生徒に担当させることを考えた。現職中にそういう機会はなかったが、中学生ならできると思う。わが子の卒業式などに教職員も参列できるような学校でありたいものだ。  (2016.4.5)

◇少子化問題の解消のために

 女性は子どもを二人以上産むことが大切と話した中学校長の発言(全校集会での)が物議を醸しているが、子どもの減少に歯止めがかからないのは現状では当然かもしれない。

 子どもを育てていくためには多額の費用が必要で、子どもを何人も産めないのは経済的な事情があるからだろう。奥さんが専業主婦のままでは家計を維持できないといったこともあってか共働きは多くなる。

 匿名ダイアリーに投稿された「保育園落ちた日本死ね」と題した記事は、あまりにも品がなく、また、日本人が日本死ねと言うのも変で違和感を覚えるが、保育園で子どもを預かってもらえなければ働けないのも事実である。保育園を増やし待機児童を解消していくことは大事である。

 しかし、子どもを保育園に預けることができ、経済的な事情も改善したとしても、子どもの数は増えないだろう。問題はそれだけではない。

 仕事をしていればこの日はどうしても休めない、休むわけにはいかない日がある。そんな時でも子どもの具合が悪くなれば休まざるを得ない。子どもの具合は悪くなくても、小学校や保育園でインフルエンザなどが流行しクラスが閉鎖になったら登校登園はできない。こういう場合でもどちらかが休まなければならなくなる。祖父母などに預かってもらえればいいが、それができない人も多いだろう。こんな時に預かってくれる体制(人や施設)を整えることも大事だろう。

 子どもをたくさん産めば、人生の大半が子育てに明け暮れることになるといった思いや生き方に対する価値観の変化も子どもが増えない大きな理由とは思うが、どちらが仕事を休むかで夫婦喧嘩が起きるようなことは少なくともなくしたいものである。しばしば喧嘩になれば、次はもう要らないという気持ちになるかもしれない。少子化問題の解消は容易ではない。  (2016.3.29)

◇足利市教育長(5)…混合名簿を男女別に変更

 20年程前までは、男女別(男子が先、女子が後)の生徒名簿を使用していたが、今では県内のほとんどの学校が男女混合だろう。

 男女共同参画社会実現のためということで足利も混合名簿を使うようになったが、学校の自主的判断ではなかった(教育長の指導もあった)ように思う。男女別か混合かの県教委調査は、現場にとってかなりの圧力で混合名簿を使用するようにと言われているようなものだったが、その頃県教委に勤務していた方にその辺のことを尋ねると、混合名簿の使用を意図したものではなく、県会議員の質問に回答するための調査ということだった。

 足利北中は平成17年度、西中は21年度から男女別名簿に戻したが、以前と違って女子を先、男子が後の名簿にした。各種検診や教科指導などで男女別名簿が必要だった職員は不便を強いられていたので喜んでいた。

 北中が名簿を男女別に戻そうとしていることについても、教育長の対応は今まで通り一貫していたように思う。市教委が混合名簿の使用を指導した経緯があったことを考えたら、容認できないとの指導があっても仕方がないことだった。

 男女別に戻して3年目に入った北中学校で教職員に調査したところ、約8割が男女別の方が使い易いと答えた。また、男女別名簿は男女別共同参画社会を阻害しないし今後混合に戻す必要はないと圧倒的多数が答え、男女別に戻してよかったという思いになった。


男女混合名簿を男女別に戻すことには市教委も抵抗があったようで、再考を(課長に)促されたが、学校評議員会の賛同を得てやろうとしていることなので撤回の意思がないことを伝えると渋々ながら了承された。
 平成11年の頃から混合名簿が使われるようになったが、当時の教育長(故人)から名簿についての話が何度もあり、混合名簿にしないわけにもいかないと話した校長がいたことを思うと、再考を促す市教委の対応は不思議なことではない。やはり教育長が偉かったということだろう。 (2016.3.22)

◇足利市教育長(4)…国旗の教室掲揚

 国旗を全教室に掲揚したことについては、過去のブログに書いたが、国歌斉唱とともに国旗の掲揚をしているのに、帽子もとらず国歌も斉唱せず喋ったりしてふらついている日本人を見るにつけ、何とかしなければという思いがあった。

 北中の全教室に国旗を掲揚しようとしていたことには、教育長に異論も届いたのであろう。教育長は、「校長が責任をもってやろうとしているのだから、やらせてやれ」と指示するなど、学校の意思を尊重していた。

 校舎内で一番最初に国旗を掲げた場所は校長室だった。国旗を眺めては、国旗に恥じない学校経営、生き方をしなければと自分を励ましたが、そんな時ほど国旗は眩しく感じた。

 国旗の教室掲揚は当然と学校評議員全員が支持し、教職員は校長の考えがよく分かったので新年度を待たずに掲揚した方がいいと言うので、3学期(平成18年1月30日)から掲揚した。

 教室掲揚に強く反対した職員がいたが、掲揚後しばらくして気持ちを聞いてみると、納得して受け入れていることが分かった。国旗や国歌という問題では、混乱を招く事態を警戒し過ぎて萎縮してしまっている日本人も少なくないようだが、堂々と国旗を掲揚し大きな声で国歌を斉唱できる人間を育てたいものだ。 (2016.3.15)

◇足利市教育長(3)…通信票の改定

 

 10年程前までは、市内は共通の通信票を使用し自由に変更ができなかった。各校から通信票作成のための委員が参加して作成したこと、そして、市が一括して業者に発注し各校に配布していたていた経緯があるからだった。

 変更するためには、中学校なら中学校の協議が必要(市教委)とのことだったので、中学校長会で改定を提案すると、各校で教職員の意見を聞いてから検討しようとなったのだが、その必要はないとの学校もあり改定の動きには至らなかった。

 通信票は本来学校が独自に作成するものなのに変更できないのは納得できない。学校独自のものを作りたいとの意向を教育長に伝えると、全校がまとまるのを待っていてはできないだろうから、思うままにやったらいいと了承されたのだった。

 平成17年度から18年度にかけて、教職員の意見を尊重しつつ検討(約10カ月)を重ね新通信票が出来上がった。19年度から北中で、20年度には西中でも採用した。 (2016.3.8)

◇足利市教育長(2)…歌って分かった素晴らしさ

 足利市歌を学校できちんと教えてほしい、と市長(故人)がしばしば話していることを教育長から知らされた。足利市の生徒なら歌えるようになって当たり前と思えたのでもっともなことと感じた。

 市歌には郷土の自然や文化、制定当時の繁栄の様子などが歌詞にされていたので、郷土連帯、郷土愛を育むためにも教える必要を感じた。教職員(足利北中)の考えを聞いてみると、昭和10年制定で、しかも今まで教えられてこなかったこともあり、「望ましい…5名 望ましくない…2名 何とも言えない…15名」だったが、学校評議員会で長野県民の「信濃の国」のような歌にしたいとの考えを述べると、是非教えた方がいいとのご意見をいただいた。

 市歌が下校放送で流れると、腕を振って歌いながら下校する姿が見られるなど生徒には抵抗なく受け入れられた。市長の願いを教育長から知らされたことで教えたいという気持ちになったが、教えて本当によかった。

 平成23年4月、市民愛唱歌を新市歌に制定したため旧市歌になってしまったが、もっと早く教えていれば多くの生徒が歌える状況になっていたと思うと残念である。 (2016.3.1)