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本来の姿を取り戻す

みんなの心に輝く学校を目指し、中学校長として取り組んだ学校経営や教育課題などについての考えを述べます。

◇愛国心がなくては

 国旗を掲げたり愛国心を養うことは、戦争につながる、あるいは戦争賛美と捉える人がいるのだろう。国旗や愛国心が悪者にされたり、愛国心愛国心と言えず、国を愛する心と言わざるを得ない状況は誠に不思議である。国旗や愛国心を軽んずる人は、外国人に信頼され、国際舞台で活躍できる人にはなれないと思う。

 全教室に国旗を掲げたのは、決してあのような戦争への道を歩むことがないようにするためでもある。戦争は、始めることよりも、思い止まることの方がはるかに難しいし、勇気を必要とすることもあるだろう。強い意志、信念、決断力、知力、そして、何よりも大切なのは、愛国心である。真の愛国心がなくては、戦争を思い止まることなどできないだろう。
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 <以下は、あの戦争や愛国心への私の思いである。>
 戦争はやってはいけない、戦争はしたくないとの思いは、前の大戦の時代に生きた人達も同じだったと思うが、戦争を止められなかったのである。どうしたら止めることができるのか、を考えていくことはとても大切である。

 軍を統御できない憲法の不備の悪用、天皇の軍隊であるのに天皇の意志に背き、軍あって国家なしの状況をつくり出した人達、国の進路を戦争へと舵を切った人達に、愛国心があったのかと疑念をもっている。権益や経済の窮状打開といった国益、国威発揚、国家主義国粋主義軍国主義、いろんな思いが社会に充満していたとしても、自衛のためであったとしても、国民にはものを言わせない、そして、大本営発表のように国民を欺(あざむ)いたのである。

 国民の生命や平穏な生活、社会の安寧(あんねい)を願う心が愛国心の本質であると思う。この観念に乏しい人達は愛国者ではない。愛国心があったと言うなら、歪んだ愛国心と呼ぶべきではないのかと感じている。現代の物差しで当時を見るな、と言われればそうなのかもかもしれないが。

 三国干渉にあって遼東半島を返した明治政府のような自制心はどうしたのか。「敵を知り己を知れば、百戦危うからず」との孫子の言をどう受け止めていたのか。敵の実力も日本の実力も、何も考えずに破滅への道を突き進んでしまったのが、あの戦争だったと考えている。
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 愛国心のない校長は退職すべきである、と私は何度も発言したが、教育の荒廃が叫ばれる今日の状況は、かなりの気概がないと改善できないと考えていたからである。明治の頃の教師について書かれた本には、次代を担う人間を育てる熱情や愛国心が感じられた。「元来た道をまた歩む」ことのないように、また、学校教育上の諸問題を早急にねばり強く解決していくために、教師にも愛国心が必要である。身の危険があるわけでもないのに、変だと感じても意見を述べられず、改革もできないのなら、前の大戦から何も学んでいないと言わざるを得ない。