足利市立西中学校の職員玄関に、以下のような扁額を掲げ(平成23年3月)た。戦後の日本人は、物事を国家的見地で考えない民族になってしまったようだが、国家的見地に立つと、自分のすべきことが見えたり、気力や勇気が湧いたり、自分本位の考えや行動が改められる。国家的見地で物事を考えられる日本人を育てたいものだ。
国際化の時代であり、国際舞台で活躍できる人材の育成が叫ばれて久しいが、そのために語学ばかりに目が向きすぎているように思う。日本人なら誰もが日本語を話す。日本語が話せることで日本人に尊敬(信頼)されることはない。同じことで、いくら外国語に堪能でも、その国へ行けば誰もがその国の言葉を話す。話せるということだけでその国の人たちに尊敬(信頼)されることはない。
国歌が演奏されても起立せず、帽子も取らず、国歌を歌わない日本人がこの国には多数存在するようだが、国旗や国歌に対する礼儀をわきまえず、敬意を払えないようでは国際的には失格で、国際舞台での活躍などとても無理である。また、愛国心を否定する人も大勢いるようだが、そのような人が大勢いるような国は日本ぐらいだろう。
思いやりに欠ける人、家族を大切にしない人、国への思いや気概に欠ける人などが日本では増えているように思う。現在ほどこの国に、一源三流(=源とは、真心、誠の心である。一つの源から発した流れは、やがて三つの流れになる。)の精神が必要な時代はない。友のために涙を流す心があってほしいし、家族のために汗を流して働き、健全な家庭を築くことは人として当然である。そして、いざという時には家族、友人、郷里を守るために血を流す覚悟も必要である。要するに愛国心がなくてはならない。
外国では年に何回も起きないような事件が連日起きている。外国人に軽蔑されるような国にしてはならない。国を立て直すために必要なことはあまりにも多いが、愛国心を培っていけば時間はかかっても今日の状況を改善できるだろう。
この国の歴史や文化、自然、伝統を愛し、国の発展に寄与するとともに国の尊厳や名誉、主権を守るといった心(=愛国心)を否定しているようでは、青少年の健全育成はもちろん、国の平和、独立、繁栄は維持できないだろう。 (2012.11.24)