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本来の姿を取り戻す

「みんなの心に輝く学校をめざして」取り組んだ学校経営、「生き生きとした学校生活のために」取り組んだ生徒指導で感じた課題の解消を念頭に置いて教育問題などを考えます。

◇長崎平和宣言(7)…風評被害収束の妨げだろう

 平和宣言については今年も疑問に思うところがあった。平和の誓いには上から目線で被爆者ってそんなに偉いのかと感じさせるようなところもなく謙虚だった。

 「日本は今、核兵器禁止条約に背を向けています。唯一の戦争被爆国の責任として、一刻も早く核兵器禁止条約に署名、批准してください。そのためにも朝鮮半島非核化の動きを捉え、「核の傘」ではなく、「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯の検討を始めてください。」と田上市長は述べたが、

 原爆を落としたのはアメリカであり、加害者の責任としてアメリカが真っ先に署名、批准すべきだと言うなら分かるが、被爆国の責任として日本に署名、批准を求めたことには強い違和感を覚えた。いじめであれば、いじめの被害者にはいじめられた責任があると言ったも同然の発言である。

 朝鮮半島非核化は全く進展していない。北東アジア非核兵器地帯が非核の傘になるのであれば、その傘にはどんな効力があるのだろうか。核の傘を欲しがっても非核の傘を欲しがる国はなさそうだ。中国、ロシア、北朝鮮に出向いて北東アジア非核兵器地帯構想を説いてから国に提案すべきだろう。

 「長崎は核の被害を体験したまちとして、原発事故から8年が経過した今も放射能汚染の影響で苦しんでいる福島の皆さんを変わらず応援していきます。」には、腹立たしく思った。

 福島の人たちは「頑張ろう福島」といった口先だけの応援をとても嫌がっている。長崎は汚染土の受入れ、福島産食品の販売協力、韓国などに輸入の働きかけをしているのだろうか。

 福島が放射能汚染の影響で苦しんでいるとの発信によって、放射能汚染はまだ続いていると受け止められれば風評被害収束の妨げになる。福島への付け足しのような言及は止めるべきだろう。


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  長崎平和宣言

目を閉じて聴いてください。
幾千の人の手足がふきとび
腸わたが流れ出て
人の体にうじ虫がわいた
息ある者は肉親をさがしもとめて
死がいを見つけ そして焼いた
人間を焼く煙が立ちのぼり
罪なき人の血が流れて浦上川を赤くそめた
ケロイドだけを残してやっと戦争が終わった
だけど……
父も母も もういない
兄も妹ももどってはこない
人は忘れやすく弱いものだから
あやまちをくり返す
だけど……
このことだけは忘れてはならない
このことだけはくり返してはならない
どんなことがあっても……

 これは、1945年8月9日午前11時2分、17歳の時に原子爆弾により家族を失い、自らも大けがを負った女性がつづった詩です。自分だけではなく、世界の誰にも、二度とこの経験をさせてはならない、という強い思いが、そこにはあります。

 原爆は「人の手」によってつくられ、「人の上」に落とされました。だからこそ「人の意志」によって無くすことができます。そして、その意志が生まれる場所は、間違いなく私たち一人ひとりの心の中です。

 今、核兵器を巡る世界情勢はとても危険な状況です。核兵器は役に立つと平然と公言する風潮が再びはびこり始め、アメリカは小型でより使いやすい核兵器の開発を打ち出しました。

 ロシアは新型核兵器の開発と配備を表明しました。そのうえ、冷戦時代の軍拡競争を終わらせた中距離核戦力(INF)全廃条約は否定され、戦略核兵器を削減する条約(新START)の継続も危機に瀕しています。世界から核兵器をなくそうと積み重ねてきた人類の努力の成果が次々と壊され、核兵器が使われる危険性が高まっています。

 核兵器がもたらす生き地獄を「くり返してはならない」という被爆者の必死の思いが世界に届くことはないのでしょうか。

 そうではありません。国連にも、多くの国の政府や自治体にも、何よりも被爆者をはじめとする市民社会にも、同じ思いを持ち、声を上げている人たちは大勢います。 そして、小さな声の集まりである市民社会の力は、これまでにも世界を動かしてきました。

 1954年のビキニ環礁での水爆実験を機に世界中に広がった反核運動は、やがて核実験の禁止条約を生み出しました。一昨年の核兵器禁止条約の成立にも市民社会の力が大きな役割を果たしました。私たち一人ひとりの力は、微力ではあっても決して無力ではないのです。

 世界の市民社会の皆さんに呼びかけます。戦争体験や被爆体験を語り継ぎましょう。戦争が何をもたらしたのかを知ることは、平和をつくる大切な第一歩です。国を超えて人と人との間に信頼関係をつくり続けましょう。小さな信頼を積み重ねることは、国同士の不信感による戦争を防ぐ力にもなります。

 人の痛みがわかることの大切さを子どもたちに伝え続けましょう。それは子どもたちの心に平和の種を植えることになります。平和のためにできることはたくさんあります。あきらめずに、そして無関心にならずに、地道に「平和の文化」を育て続けましょう。そして、核兵器はいらない、と声を上げましょう。
それは、小さな私たち一人ひとりにできる大きな役割だと思います。

 すべての国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れ、原子雲の下で何が起こったのかを見て聴いて感じてください。そして、核兵器がいかに非人道的な兵器なのか心に焼き付けてください。

 核保有国のリーダーの皆さん。核不拡散条約(NPT)は、来年、成立からちょうど 50年を迎えます。核兵器をなくすことを約束し、その義務を負ったこの条約の意味を、すべての核保有国はもう一度思い出すべきです。特にアメリカとロシアには、核超大国の責任として、核兵器を大幅に削減する具体的道筋を世界に示すことを求めます。

 日本政府に訴えます。日本は今、核兵器禁止条約に背を向けています。唯一の戦争被爆国の責任として、一刻も早く核兵器禁止条約に署名、批准してください。そのためにも朝鮮半島非核化の動きを捉え、「核の傘」ではなく、「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯の検討を始めてください。そして何よりも「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念の堅持と、それを世界に広げるリーダーシップを発揮することを求めます。

 被爆者の平均年齢は既に82歳を超えています。日本政府には、高齢化する被爆者のさらなる援護の充実と、今も被爆者と認定されていない被爆体験者の救済を求めます。

 長崎は、核の被害を体験したまちとして、原発事故から8年が経過した今も放射能汚染の影響で苦しんでいる福島の皆さんを変わらず応援していきます。

 原子爆弾で亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、長崎は広島とともに、そして平和を築く力になりたいと思うすべての人たちと力を合わせて、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

 2019 年(令和元年)8月9日 長崎市長 田 上 富 久


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   平和への誓い

 1945年8月、アメリカが広島・長崎に原爆を投下し、20数万人の命が奪われました。

 私は当時11歳、爆心地から約2キロの自宅で被爆しました。母と4人の妹・弟は佐賀へ疎開していて、難を免れましたが、父は爆心地から500メートルの工場で爆死していました。

 私たちは、兄弟3人で焼け残りの木片を集めて、焼け落ちた工場のそばで、父の遺体を荼毘に付しました。しかし、焼けていく父の遺体を見るに耐えられらず、燃え上がる炎を見ながら、その場を離れました。

 翌日、遺骨を拾いに行きました。でも遺体は半焼けで、完全に焼けていたのは手足の一部だけでした。せめて頭の骨だけでも拾って帰ろうと兄がいい、火箸で触れたら、頭蓋骨は、石膏細工を崩すように割れ、白濁した半焼けの脳が流れ出したのです。

 兄は悲鳴をあげて、火箸を捨てて逃げ出しました。私も、その後を追って逃げ出したのです。私たちは、こんな状態で父の遺体を見捨ててしまいました。

 原爆で、火葬場を破壊されたため、家族や身内を亡くした人々は、私たちと同じようい、無残な体験をしなければならなかったのです。それだけではありません。かろうじて生き残った人々は、熱線による傷や、放射能による後遺症に悩まされながら、生きていかなければなりませんでした。

 私たちは、原爆の被害を受けて20数年後、急性肝炎、腎炎を発症し、今も治療を続けています。さらに60数年後には、胃がんに犯され、2008年10年にガン抽出する手術を受けました。あの時私と一緒に行動した。兄と弟もがんに犯され、治療を続けています。

 あれから74年、被爆者の私たちは、多くの方々と核兵器廃絶を訴え続けました。また、60歳をすぎて英語を独学で学び、2015年11月、長崎で開催された核防止会議では、世界の科学者に核兵器廃絶に力を貸してくださいと訴えました。

 しかし、ロシア、アメリカの国々に、今もなお、1万3880発もの核兵器保有されていると言われています。さらにアメリカが、ロシアとの間に中距離核戦力に締結している中距離核戦力全廃条約からの離脱を宣言し、執行しました。

 2月には、トランプ政権になってから2回目の臨界内核実験がおこなったと報じられています。これは核兵器の廃絶を願う人々の期待を裏切る行為です。

 被爆者が日を追うごとに亡くなっています。私は、この場を借りて、安倍総理にお願いしたい。被爆者が生きている間に、世界で唯一の被爆国として、あらゆる核保有国に核兵器を無くそうと働きかけてください。

 この問題だけはアメリカに追従することなく、核兵器に関する全ての分野で、核兵器廃絶の毅然とした態度を示してください。もちろん、私も死ぬまで、核兵器廃絶を訴え続けます。それが、74年前、広島長崎の原爆で失われた20数万の人の命。後遺症に苦しみながら生き残っている被爆者に報いる道だと思います。

 私は、第二次世界大戦によって、310万人もの命を犠牲にした日本が、戦後に確立した平和憲法を守り続け、戦争や核兵器のない国を目指す主導的な役割を担ってほしいと念願し、平和の誓いとします。

please rend us your strength to eliminate nuclear weapon from the face of the earth, and make sure that Nagasaki is the last place on the earth to suffer an atomic bombing thank you.

(編集部訳:地球上から核兵器を廃絶し、長崎を最後の被爆地とするために皆さんの力を貸してください。ありがとうございました)

 2019年令和元年 8月9日 被爆者代表 山脇佳朗

 (2019.8.21)