みんなの心に輝く学校をめざして(25)-平成21年4月1日
いよいよ新年度が始まりました。忙しい日々が続きますが、健康に留意され、着実な教育活動をお願いいたします。教師には、「浩然(こうぜん)の気」が必要です。忙しい中にあっても、伸び伸びとしたおおらかな気持ちを失うことのないようにしたいものです。
◇修業式(3月24日「天知る、地知る、己知る」)
こんな言葉を耳にしたことがあるでしょうか。「天知る」とは、お天道様は知っている。お天道様とは、即ち太陽のことですが、太陽は何もかも知っている。「地知る」とは、大地は知っている。何もかも知っている。「己知る」とは、自分は何もかも知っているという意味です。 お天道様に恥じるような行いをしてはいけません。大地に恥じるような行いをしてはいけません。他人は知らなくても、自分は何もかも知っているでしょ。だから、そんな行いをしてはいけませんという教えです。
日本人の美徳は、「天知る、地知る、己知る」が原点であると、称えている外国人がいます。警察官がいなくても、信号が赤になれば車も人も止まります。日本では当たり前の光景ですが、その光景に驚嘆する外国人は少なくないのだそうです。日本人なら心のどこかにこの気持ちがしまわれているものです。皆さんにもかみしめてほしいと思います。
※「天知る、地知る、己知る」が、「人知る」となった時には、消費期限の改竄(かいざん)や産地偽装など、しばしば報道されるような結果にもなるでしょう。正直で堅実な生き方こそ尊いと悟ってほしいものです。
◇後よしの原則
朝三暮四(ちょうさんぼし=猿回しが、猿にトチの実を朝に三個暮れに四個やると言ったら、猿が怒った。そこで、朝に四個暮れに三個やると言ったら、猿が喜んだ)との故事は、結果は同じなのにそのことに気づかない、うまい言葉で人をだますという意味ですが、言い方一つで受け取り方が変ってくることはよくあることです。
生徒の指導では、注意することばかりでなく誉めることも用意しておくことが必要でしょう。どちらを先にし後にするかは、教師と生徒の関係やそれぞれの人間性、指導内容などで変ってきます。しかし、指導後には、生徒が頑張ろうとの気持ちをもって、あるいは、感謝の心をもって、明るい顔つきで帰っていけるようにすることが大切です。言ったことは同じでも、言い方一つで受け取り方は変わります。指導は「後よし」でなければならないと思います。
◇三方よし
近江商人の商いの理念が、内外教育に紹介(日本大学の佐藤晴雄教授、三方よしの教育改革と題して)されていました。商取引は、「売り手よし、買い手よし、世間よし」(この理念の出処は、1754年、麻布商の中村治兵衛宗岸が、跡継ぎ養子のためにしたためた書き置きの中にあったとのこと)でなければならない。即ち、商いでは、売り手と買い手だけでなく、その売買行為が社会全体の幸福につながるべきであると。
この社会が抱える諸々の問題は、「世間よし」の考えが抜け落ちたことによって生み出されているように思います。不健全な雑誌やビデオ、有害玩具の販売、俗悪と批判される品性のかけらもない下劣な番組の放送など、挙げればきりがないでしょう。しかし、「買い手よし」まで抜け落ちている場合もあります。詐欺商法などは、「売り手よし」だけでしょう。
みんなの心に輝く学校をめざして(26)-平成21年5月1日
◇始業式(4月8日<立ち姿を美しく>)
私は、西中学校をみんなの心に輝く学校、県内公立169中学校の頂点に立つような学校にすると、何度も口にしていますが、そのような学校の生徒は、格好がよくなくてはならないと思っています。
格好をよくするには、立ち姿、歩く姿をきれいにすることです。そのためには、胸を張ってあごを引き、頭の芯が天を突くように立ち、歩く時には、足先を真直ぐ前に向ける。すぐにはできないでしょうがやってみてください。立ち姿、歩く姿に気を遣う日本人は少ないようですが、少しは気を遣った方がよいと思っています。西中の生徒は、明るく活力があり人なつこいのですから、これに立ち姿、歩く姿が美しくなったら最高です。
※日本人の姿勢はよくないとの声があります。姿勢が美しく、時には品を感じさせるような人に悪人はいないと思います。姿勢を正すことは、気持ちを正すことでもあります。
◇研究ばかりじゃ
「学校の先生は本を読まない」と言われた(本校出入りの本屋さんではない)ことがあります。他の職種の人達との比較でも調査に基づくものでもありません。昔の先生に比べ本を買う先生が少なくなっている実態と、人を教育する立場の人間はたくさん本を読んで見識を深め人間性を磨くことが必要との考えがあっての発言だったのかもしれません。
教師の資質向上がしばしば遡上(そじょう)に上ります。そして、資質向上のための研修として、現職教育が行われるのですが、どこの学校でも、情報やその他の教育機器の活用、道徳や教科の授業研究、教育相談、生徒指導、人権教育、特別支援教育といった内容で、必要に迫られての研修が多いのではないかと思います。どれも大切ですが、最も大切な自己の人間性を磨くような研修となると、ほとんど行われないのが現状でしょう。昔はそばに寄っただけで頭が下がってしまうような教師がいたとのことですが、最近はどうなのでしょうか。
教育公務員は、その職責を遂行するために、耐えず研究と修養に努めなければならない、と法(教特法21条)に規定されています。しかし、研究ばかりが盛んに行われ、自己を磨く修養についてはほとんど顧みられない状況のように思います。研修とは、研究と修養を合わせた和製熟語なのだそうですが、教師の人間性を高めてこそ研究の成果が生かされるのではないかと思います。全国津々浦々、研究をやらない学校はありません。なのに学校の荒廃が叫ばれているのです。生徒の変容ばかりを考え、自己の変容を忘れていてはいけないでしょう。
◇切れる子ども
ちょっとしたことで暴れ出す切れる子どもの存在が、盛んに報じられたことがありました。報道では、切れる原因(理由)が明らかにされることもなく、切れる子どもは特異な子ども、との印象をもたれた方がいるかもしれません。切れる子どもは自己の感情を制御できないのであって、多くの切れない子どもと本質(資質)的に違いはないと思います。感情を制御できないのは、我慢ができないからであり、我がままなのです。特異な子どもではありません。先生方は、時には思う存分切れてみたいと思うことがありませんか。何も考えずに切れることができたらどんなに気持ちがよいことか。切れないのは、切れるわけにいかないからではありませんか。 (2024.12.24)