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本来の姿を取り戻す

「みんなの心に輝く学校をめざして」取り組んだ学校経営(足利市立中学校)、「生き生きとした学校生活のために」生徒指導主事として取り組んだ生徒指導で感じた課題の解消を念頭に置いて教育問題などを考えます。

校長室だより(9)

みんなの心に輝く学校をめざして17)-平成20年12月1日

◇全校集会(11月7日<多額の税金が>)
 中学生までは義務教育と言われます。義務教育はただ、という感覚の人もいるようですが、そうではありません。皆さんにはたくさんの税金が使われています。一人当たりどのくらいの税金が使われていると思いますか。
 学校で使った電気代は電力会社に、使用する紙代は商店に、電話代は、電話会社に払わなくてはなりません。コピー機印刷機、パソコンも買わなくてはなりません。そして教職員の給料も必要です。国、県、市が負担した額を合計すると、膨大な額になります。
 栃木県の資料によると、平成18年度、中学生一人当たり約100万円(資料では99万6千円程)になっています。19年度はまだ明らかにされていませんが、例年大きな変動はないので、皆さんが卒業するまでに使われる税金は、約300万円になります。
 これだけの税金を使うのは、使うだけの理由があります。その理由は、後で担任の先生などとゆっくり話し合ったりして考えてほしいと思います。西中学校を半年以上見てきました。西中生は明るく素直で、活力に満ちています。西中生には大金をかけても損はないと思っています。

※だらしない格好で菓子など食べながら、あるいは、携帯電話をしながら登下校する中学生を見かけることがあります。一般の人はこの事実を知りませんが、知ったなら、こんなに真っ黒くなって働いて、納めた税金があのような生徒のために使われるのか、と情けない気持ちにもなるでしょう。

◇国際人の素養(教養)
 国際舞台で活躍するためには、語学力が必要と思います。しかし、国際化の時代にあって、外国人との交流を深め、信頼関係を築き、国際舞台で活躍できる人(=国際人)になるには、語学以上に大切なことがあると思います。
 北朝鮮による日本人拉致といった重大問題を外国人に尋ねられ、何にも答えられなかった語学堪能な日本人が、軽蔑の眼差(まなざ)しを向けられたという話を聞きました。新学習指導要領では、外国語が小学校5・6年生で必修となりましたが、語学ができても外国人に信頼(尊敬)されるわけではないのは確かなことでしょう。

  *自分(自国)の利益ばかりでなく、他人(他国)の利益も考えることができる人
  *礼節を重んじ、日本人としての誇りがある人
  *自分の意見をきちんと述べることができる人
  *正義感が強く、人間尊重の精神を備えた人
  *他国の歴史・文化・伝統・習俗を理解し、大切にする人
  *日本の歴史や文化を尊重し、国や郷土を愛す人
  *その他

 上記のような人間でなくては、国際舞台で活躍できる人にはなれないと思います。


みんなの心に輝く学校をめざして18)-平成20年12月15日

◇人権教育と言論の自由 
 人権侵害は前の大戦のような悲惨な戦争を引き起こす要因にもなり得る、との認識をもって人権教育を推進すると努力の方向の中に述べましたが、人権教育は、あのような戦争への道に進むことがないようにする重要な教育と考えています。「風が吹けば桶屋が…」のような考えと思われるかもしれませんが。
 私は、戦前に青年や成年であった方と、あの戦争について話せる機会がもてた時には、「戦争は避けられないことだったのか、歴史の必然だったのか、一人の国民として当時の世の動きや雰囲気に何を感じていたか」などを聞かせてもらってきました。このような動機は、かつての教育長さんが、「差別は戦争の原因にもなる」というような話をされたということを耳にし、それを確かめたいと思ったからでした。明治維新を成し遂げた日本には、身命を賭して活躍した我が国の誇りとも言える日本人が大勢いました。維新を成し遂げた人達は、当時はもういなかったでしょうが、意志や気概を受け継いだ人達など、憂国の士は少なからずいたはずです。にもかかわらず、どうしてどうにもならなかったのかという思いもありました。
 差別や偏見、あるいは蔑視といった面での話を聞かせていただく度に、その教育長さんが言われたことは確かなことと感じるようにもなりました。また、当時はものを言うことができなかった、言ったら大変なことになっていたとの話も同時に聞かせてもらいました。以来私は、あのような戦争を防止するためにも、人権教育と言論の自由は何よりも大切にされなければならないと考えるようになりました。 

◇制度的権威と人格的権威
  人を動かして物事を進めていくための力として、よりどころとなるものが二つあるとお聞きしました。役職や立場から、職権といった形で人を動かす制度的権威と、自分を磨き人間関係を築きながら人間性で人を動かす人格的権威です。
 制度的権威に頼るのも時には必要なこともあるのかもしれませんが、感心しません。人事や給与といったことを握っている、あるいは関与できるといった強い立場で、相手の意をくむことなく動かそうとすると、心服することもないでしょうし、いい結果を生まないでしょう。以前私を、この権威をもって動かそうとした人がいましたが、この方とは今もって心の通じ合うことがありません。
 教師が生徒を指導する場合でも、制度的権威に頼らない心がけが大切です。通信票や進学といったことを口にしながらでは、管理職が勤務評定や異動等の処遇を口にしながら職員を動かすのと全く同じことになります。この方法では、自己の力量を向上させることもできませんし、いい学校をつくることもできないでしょう。
 現職教育では、日常の教育活動に直結するような研修が多いのですが、人格を磨くといった内容もあってよいのではないかと思います。古典の輪読会をしたり、仏法僧等の説教を聞いたり、座禅を体験したり、立派な人物の生き方をお聞きしたりといったことも組み込めば、より新鮮なものとすることができるでしょう。人格的権威で人を動かし物事を進めるようでありたいものです。  (2024.12.16)