列女伝(劉向著)には、母たるものの手本として孟子の母が取り上げられている。子どもに学問を身につけさせ、立派な学者にするために転居をいとわなかった孟母三遷は誰もが知っているだろう。列女伝にはもう一つの話、孟母断機が取り上げられている。こちらは孟母三遷ほどには知られていないように思う。
孟子が若かった頃、勉学を終えて家に帰ると、母親がちょうど機織りをしていた。母親が孟子に「学問はどこまで進んだのか」と尋ねると、孟子は「まあまあといったところです」と答えた。
すると母親は刃物で織っていた織物を断ち切ってしまった。孟子が驚いてその訳を尋ねると、
「お前が学問をやめてしまうことは私がこの織物を断つようなものです。君子たるもの、学問で名を立て、いろいろ尋ねて知識を広めるものです。そうすれば心穏やかに生活することができ、災難から遠ざかる。今学問をきちんとおさめないなら、下僕の生活に甘んじ災難から遠ざかることもない。」
「お前の今は、機織りで暮らしを立てている私がそれを途中で投げ出してしまうようなもの。そんなことをしたら、家族を養っていけないし、食べるものにも困るだろう。女が生計を立てるのをやめたり、男が徳をおさめることを怠れば、いずれ泥棒になるか下僕にでもなるしかないんだよ。」
孟子は震え上がり、朝に晩にひたすら学問に打ち込むようになり、子思(孔子の孫)に師事して遂には天下に名高い儒者となった。
孟子に限らず偉人と言われる人の背後に偉大な母あり、子にとって最高の教師は母と言われたりするが、父親がそう言われることはない。男としては素直に認めるしかないだろう。 (2022.2.1)