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本来の姿を取り戻す

「みんなの心に輝く学校をめざして」取り組んだ学校経営(足利市立中学校)、「生き生きとした学校生活のために」生徒指導主事として取り組んだ生徒指導で感じた課題の解消を念頭に置いて教育問題などを考えます。

校長室だより(3)

 みんなの心に輝く学校をめざして(5)-平成20年6月1日

◇情がなくては
 ある母親と、その方の息子さんの話をしました。息子さんは、ある日、寝坊をして会社を遅刻したのだそうです。上司は、「彼はお得意さん回りをしてから出勤してくる」と職員に告げました。すると、若いのに偉いと皆が称えるので、「夢の中でね」と応じたとのことです。これを知った息子さんは、「仕事は大変だが、僕はちっともつらくない」と話しているとのことでした。
 昔見た映画に、「強くなくては生きていけない。優しくなくては生きる資格はない。」との言葉を残し、部屋を出ていく男優の姿があった。情がなくては人間関係も深まらず、成果も上げられないのは、どこの世界でも同じではないかと思います。

◇連携して(2対1で)指導したなら
 生徒指導主事の頃、行動がとても危なっかしく、このままではどこかに飛んでいってしまうのではと不安になった女子生徒がいました。そこで、担任と二人で家庭訪問をしたところ、両親とも娘の行動に不安をもっており、どうすべきか困っていた状態でした。しばらく話し合った後に、学校がやること、家庭にお願いしたいことを話し出すと、父親はメモを取り始めたのです。こんなことは初めてで、その真剣さに驚きましたが、それから女子生徒はたちまち変っていきました。学校と家庭が連携して生徒を指導したなら、抜群の効果を発揮することを実感したのでした。そして、どんなに心配な生徒でも、正しく導くことができるとの自信を深めることができました。2対1とは、学校と家庭の連携だけではありません。夫婦が協力して(知恵を出し合って)子どもを導いたなら、間違いなく、これまた抜群の効果を発揮すると思っています。

◇朝会(5月7日<恕(じょ)=思いやり>) 
  孔子の弟子の子貢という人が、先生の孔子に尋ねました。「一言で、生涯それを行えばよいことがありますか」と。この問いに孔子は、「それは恕であろうよ。自分がしてほしくないことは人にしてはならない」と語りました。孔子は、今から2500年程前に生きた中国の思想家です。足利学校に祀られている人です。

    子貢(しこう)問いて日く、一言(いちげん)にして以って終身之を行う可き者有り呼(や)
    子(し)日く、それ恕(じょ)(か)、己の欲せざる所は、人に施すこと勿(なか)

 恕とは、相手を自分と同じように見る心のことです。自分を思うのと同じように相手を思いやることです。この心には、もう十分、これで終りということがありません。年齢と共に磨かれ、また、磨き続けていくべきものと思います。この心をいろんな活動を通して磨いてほしいと思います。

※昨今、恕はどうなってしまったのかと感じられる事件が多い。日本人の精神性が失われ、自壊への道を歩んでいると考えるべきではないかと思います。

 

 みんなの心に輝く学校をめざして(6)-平成20年6月16日

◇評価について        
 2002年より、それまでの相対評価(集団準拠)から、絶対評価(目標準拠)へと評価の仕方が変りました。相対評価の問題点は、正規分布曲線をもとに集団を各段階に分けて(評定1と5は集団のそれぞれ7%、2と4は24%、3は38%)しまうので、相当に無理のあるものでした。このような評価をして意味(数学的に)があるのは、集団の人数が500以上なのだそうです。学年で500人を超える学校でしか意味のない評価を、今まで行っていたということになります。相対評価では、全体的に成績が優秀な場合には、通常評定が5となる力をもっていても、4か3になってしまうことも起こります。もちろん、この逆もあり、とても納得できないことでしょう。相対評価から絶対評価へと転換した頃、これからは誰でも5がもらえるという報道がありました。しかし、人数制限はなくなっても誰でも5がもらえるなんてことは通常ではあり得ないでしょう。
 現在行っている絶対評価は、学習内容ごとの到達目標をもとに評価規準を作成し、評価の方法についても各学校が工夫し、客観性や信頼性を高めた適切な評価となるよう研究を深めています。問題なのは、全国共通の具体的規準が示されていないことです。どんなに研究を進めても、各学校まちまちでは、客観性や信頼性は高まらないと思います。
 剣道では、全日本剣道連盟の試合審判規則で、一本の条件がはっきりと示されていますが、単純明快な一本の条件でも判定に個人差が出ます。そこで、毎年中央や地方での講習会を行って統一を図っています。各学校や各市町村の剣道連盟で、あるいは各県の剣道連盟で独自に一本の条件を定めたら試合などできなくなります。客観性や信頼性を高めることなどできません。
 高校側から、中学校の評定は各学校でばらつきがあるとお聞きしました。まだまだ適切な評価はできていないと考えるべきでしょう。評価は永遠の課題とも言われるくらいですから完璧は難しいことですが、日々工夫改善をしつつある状況であっても妥当な評価がされなければなりません。相対評価は全否定されたわけではありません。相対評価も加味した評価も過渡期には必要なことかもしれません。

◇生徒で判断する
  良い学校かどうか、日々の教育活動が成果を上げているかどうかは生徒を見て判断すべきことと思います。研究学校の研究紀要等には成果と課題の記述がありますが、私は記述されたことだけでなく生徒の姿で判断するようにしています。言葉だけなら何とでも書けると思っているからです。
 学校は現場です。実践の場です。研究の成果、教育活動の成果としての生徒の変容はすぐに現れるものではありませんが、生徒がはっきりと示すことになるのは確かなことと思います。子どもの生き生きとした姿、成長している姿、いかに学校生活に満足しているかといったことで保護者は学校や教師を評価するのです。立派なことを言ったり書いたりしても、それで評価することはないでしょう。私達は、自分たちの教育活動は生徒で判断してほしいと言うべきであろうと思います。  (2024.12.6)