過ちをは繰り返さないと誓う人は広島市民であると誰からも分かるようにしてあれば、そして、総理や各国大使館員などの隣席を仰ぐことなく平和記念式典を行うなら、目くじらを立てることもないかもしれない。
説明板には「すべての人びと」と書かれているが、このすべての人びとは日本国民であって広島市民とは考えないだろう。まして世界の人々とは思わない。書かれていないのだから当然である。碑文は原爆投下を日本の過ちだから仕方がないと受け取られかねないのだ。
原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは世界の人々とする広島市の見解には納得できない。原爆の犠牲者の冥福を祈ることに異論はないが、過ちをを繰返さないと詫びて誓うことは断固拒否する。なぜなら、戦後生まれで過ちには一切かかわりがなく、原爆の犠牲者に何の負い目もない。世界の人びとにとっても同じだろう。
慰霊碑文を決定した時の碑文の主語は広島市民だった。一瞬にして10万人近くが焼き殺された惨状を身近に知り、被害も受けたであろう市民が自業自得と受け取られかねない碑文を前にしての慰霊は卑屈であり残酷にも感じる。現在の慰霊碑は撤去して新たなものにすべきである。 (2021.10.1)