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本来の姿を取り戻す

「みんなの心に輝く学校をめざして」取り組んだ学校経営、「生き生きとした学校生活のために」取り組んだ生徒指導で感じた課題の解消を念頭に置いて教育問題などを考えます。

◇広島の慰霊碑(1)…広島市民だったとは

 令和3年8月7日の産経抄に、原爆投下は日本の過ちだから仕方がないと思わせかねないので広島の慰霊碑は撤去した方がいいと書かれていたが、同感である。いつの日か必ず撤去させなければならない。

 「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」との碑文を読めば、「過ちを犯したので原爆が落とされた。だから仕方がないが、もう過ちを繰り返さないので、どうぞ安らかに眠ってください」という意味に取る人は少なくないだろう。

 慰霊碑文は、当時の広島市の浜井信三市長に依頼された碑文の古典研究に造詣の深い広島大学の雑賀忠義教授が撰文、揮毫したのだそうで、1952年7月22日に決定された。

 碑文には主語がなく、過ちを繰り返さないと言っているのは日本人か、アメリカ人か、それとも世界人類か、「過ちを繰返しませぬから」ではなく、「過ちを繰返させませぬから」ではないのかといった碑文論争が起きたようで、きっかけは1952年11月3日に広島を訪れたインドのパール判事が碑文を批判したことだった。

 碑文については、その趣旨を正確に伝えるため日本語と英語の説明板が設置(1983年)されたが、現在は増設され8カ国語(イタリア語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、中国語、韓国語が加わる)になっている。説明板には、

「碑文はすべての人びとが、原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である。過去の悲しみに耐え、憎しみを乗り越えて全人類の共存と繁栄を願い、真の世界平和の実現を記念するヒロシマの心がここに刻まれている。」といったことが記されている。

 説明板を設置しても納得しない人が少なくなかったのだろうか。広島市は「原爆の犠牲者は人類全体の平和のいしずえとなって祀られており、その原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならない」と述べ、碑文の主語は「全世界の人々」であるとした。

 広島でのパール判事は、碑文に耳を疑い何度も通訳が間違っていないか確認し、間違っていないと分かると厳しい表情になりこう言ったというのだ。

 「過ちは繰り返さぬ」という過ちは誰の行為をさしているのか。もちろん日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落とした者は日本人でないことは明瞭である。

 落とした者が責任の所在を明らかにして「二度と再びこの過ちは犯さぬ」と言うなら頷ける。この過ちが、もし太平洋戦争(大東亜戦争)を意味していると言うなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は、西欧諸国が東洋侵略の為に蒔いたものであることも明瞭だ。さらにアメリカはABCD包囲陣を作り、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突き付けてきた。アメリカこそ開戦の責任者である。

 これを聞いた雑賀は、広島市民であるとともに世界市民である我々が過ちは繰り返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり、良心の叫びである。原爆投下は広島市民の過ちではないとは世界市民に通じない言葉だ。そんなせせこましい……云々」との抗議文を送った(11月10日)のだそうだ。抗議文で雑賀が明確にした理念では、碑文の主語は広島市民だった。広く日本人でもなく、アメリカ人でもなく、全世界の人々でもなかった。 (2021.8.18)