市歌を生徒が歌えるようにしてほしいと市長が要望した頃は、市内の生徒のほとんどが歌えない状況だった。北中生を歌えるようにするために、教職員や保護者がどのように考えているかを把握する必要があり、調査(平成18年3月)を行った。市歌を教え歌えるようにすることについては、
教職員(校長・教頭除く) 保護者(1・2年各1学級)
・望ましい 5名 10名
・望ましくない 2名 3名
・何とも言えない 15名 39名
だった。
賛同する人が少なく生徒がどう受け止めるか不安もあったが、教えてみると、足利の自然、歴史や文化、市歌制定当時の繫栄の様子、市民の心情などを誇らしく感じたのかもしれない。難しい歌詞も何ら支障にならなかった。指導してくれた音楽の先生は指導のしがいがあると話した。
北中生が歌えるようになり西中生も歌えるようになったが、平成23年4月、新市歌が制定されたので旧市歌は今後歌われることがないかもしれない。
足利在住の二人の信濃育ちの方(国際ソロプチミスト足利・会員)が信濃の歌を絶賛し、高齢になった今でも歌えると話されたことを過去のブログに書いたが、二人とも学校で教えてもらったのではなく、何度も聴いたので覚えたとのことだった。
旧市歌となっても足利市の歌であり、登下校放送などを通してしばしば耳にする機会があれば、信濃の歌のような存在になれるかもしれない。学校近くにお住まいだった中学校の校長先生(故人)は市歌放送を聴く度背筋がピーンと伸びると話されていたが、足利の宝のように思う。郷土への愛着、郷愁を覚える人間を育てるために活用したいものである。 (2017.6.27)