イスラエルの政府高官が昨年、自らのフェイスブックに、「広島と長崎の平和式典を独善的でうんざり」と書き込んだとのことだが、式典の中で独善的と感じさせたものは平和宣言だったのではなかろうか。
独善的でうんざりと感じた外国人は、この高官だけだったのだろうか。多数参列していた日本人はどう感じたのだろう。
フェイスブックには、「広島と長崎は侵略行為の報い」との書き込みもあったとのことである。20万人以上が命を失い、その後も苦しみながら死んでいった人達、そして現在も苦しんでいる人達に対する許せない暴言であり、厳しく非難されるのは当然だが、この高官の人間性だけで片づけられないようにも思う。独善的でうんざりするような式典によってこんな暴言が引き出されたという面も感じるからである。
広島平和公園の原爆死没者慰霊碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」には、納得できない人も少なくないだろう。これでは「過ちを犯したので原爆が落とされた」、「過ちを犯したのは日本人」、日本人自身がそう考えていると受け取られてしまうだろう。
原爆死没者慰霊碑文は、原爆は自業自得との考えを引き出してしまうのではなかろうか。こんな碑文を前に死没者の御霊に手を合わせても慰霊にならないように思う。逆に冒涜しているように感じてしまう。 (2014.3.24)