「食べれない、試合に出れる、そう感じれる、ここに居れるだけで幸せ、…」のような言葉を耳にするようになったのはいつ頃だったのだろう。
言葉は時代とともに変遷していくものではあるが、今のところ、ら抜き言葉を使う人より使わない人の方が多く、日本人のほとんどがら抜き言葉になってしまうようなことはないだろう。
小さな子どもならともかく、それなりの年齢に達した人なら間違いと分かっているはずである。なぜら抜き言葉を使うのか、今までその訳を聞いたことがなかったが、聞いてみたい気持ちになった。
ら抜き言葉に抵抗がある人は少なくないと思うが、最近は、「力を出せれるようになった、歩いて行けれる、力まずに投げれることができた、なかなか聞けれない、ファンを喜ばせれるような…」のように、れ入れ言葉もしばしば耳にするようになった。ら抜き言葉にれ入れ言葉が加わることで、今後は益々首をひねることが多くなるような気がする。 (2014.3.18)