毎年、5月は京都、11月は東京で剣道の8段審査が行われる。毎回出かけているが、まだまだ力不足で昇段できないでいる。一生追求しても無理かもしれないが、目指さないと進歩が止まると考えているので、これからも受け続けることになるだろう。8段に上がるより仏壇に上がる方が先かもしれないが。
審査の度に諸々反省点が出てくるもので、一次合格した時もそうでなかった時でも、そのことに大きな違いはない。もう何回も受けているので、特に印象に残っている審査は少ないが、今でも忘れられないことがある。
京都での審査(平成17年)だったが、面を返されて胴を見事に打たれてしまったのである。審査を見てくれていた師匠の評は、「可もなく不可もなく終わった」ということだった。栃木に戻ってから詳しくご指導をいただく中で、「面に跳ぶ前に胴が分かれば面は打たなかった、先生には見えるのに、なぜ私には見えないのでしょうか」とお聞きすると、「それは攻めてないからさ。攻めてないから相手が動かない」と今までに何度もご指導いただいていた答が返ってきた。目から鱗、やっと分かったという気持ちになったのである。
入門以来6年間、何度も何度も耳にし、十分に分かっていると思っていたことだったが、分かってなかったのである。部活動など、何度教えてもできない生徒に、腹を立てたりあきれたりしたものだが、人間はその時期が来ないと分からないということを身をもって知ることができたのだった。
教育界全体に感じていることだが、教師は生徒への指導後、すぐに結果を求めがちだが、気長に待つことも大切だろう。あの時の体験から、教育現場に往々にしてありがちな仮説を立てての実践、「こうすれば、生徒はこうなるだろう」式の教育実践は、あまりにも性急なことをしているのではないかと思っている。 (2013.7.30)