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本来の姿を取り戻す

「みんなの心に輝く学校をめざして」取り組んだ学校経営、「生き生きとした学校生活のために」取り組んだ生徒指導で感じた課題の解消を念頭に置いて教育問題などを考えます。

◇感動の卒業式(1)…式次第などの大幅な変更

 卒業式では中学校3年間で学んだ全てが式中の姿勢や態度に表れると多くの中学校の教職員は考えている。したがって、学校にとって卒業式はとりわけ重要な儀式的行事になっている。感動体験は人の生き方を変えると言われるが、卒業式は会場の全ての人が感動に包まれる時間でありたいものだ。
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 <卒業生入場>

①修礼

 来賓、保護者を含め、全員が礼をするのは修礼だけである。

②開式のことば

③国歌斉唱

 式場前面には国旗と市旗が掲げられる。起立せず国歌を斉唱しないなど、あり得ない。

④卒業証書授与

 代表でなく、一人一人に手渡しする。

⑤学校長式辞

 長くもなく、短くもなくということで、7分程である。

⑥市歌斉唱

 郷土色があり生徒に好評の市歌である。(22年度から歌うことにしたが、23年4月1日、新市歌が制定されたため、22年度が最後になった。)

教育委員会祝辞

⑧来賓祝辞

⑨来賓紹介・祝電披露

 来賓紹介では、卒業生が全員来賓席に体を向け(30~45度)、一人一人に礼をする。

⑩校歌斉唱

 校歌で気分を一新する。

⑪送辞

 校長式辞や来賓祝辞と同様、演台から会場に向かって立ち、在校生代表が送辞を述べる。

⑫式歌斉唱「仰げば尊し

 国民的な式歌を歌わない学校が多くなっている。20年度より復活した。

⑬答辞

 送辞と同様に卒業生代表が答辞を述べる。

⑭式歌合唱「旅立ちの日に

 毎年、会場は感動に包まれる。

⑮閉式のことば

⑯修礼

 <卒業生退場>
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※式歌2曲、市歌斉唱などは西中の特色と言える。学校には毎年感動で涙が溢れたといった声が多数寄せられている。今後もそう言っていただきたいものである。

 音楽の教科書から、式歌「仰げば尊し」の2番が省かれていることに驚かされた。2番の詞「…身を立て名をあげ…」が、立身出世を奨励しているというのが理由らしい。この国を静かに静かに腐らせようとする人達の存在を感じ憤りを覚えた。

 「日曜日に書く」産経新聞、平成23年3月20日)仰げば尊し「父母の恩」と題した記事で、清湖口敏論説委員は、真の意味は立身出世ではなく親孝行であると述べた。国民的な卒業式歌を途絶えさせてはならないと復活させたが、今後も歌い続けてほしいものである。

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1 仰げば 尊し 我が師の恩
  教の庭にも はや幾年
  思えば いと疾し この年月
  今こそ 別れめ いざさらば

2 互に睦し 日ごろの恩
  別るる後にも やよ 忘るな
  身を立て 名をあげ やよ 励めよ
  今こそ 別れめ いざさらば

3 朝夕 馴れにし 学びの窓
  蛍の灯火 積む白雪
  忘るる 間ぞなき ゆく年月
  今こそ 別れめ いざさらば

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    仰げば尊し「父母の恩」  (2011.3.20)

 公立の小中学校ではちょうど卒業式を迎える頃だろうか。卒業式といえば、定番の歌ともいえる「仰げば尊し」が思い起こされるが、この歌は今年も多くの卒業生の感涙を誘うことだろう。

 明治17(1884)年発行の『小学唱歌集』に収録されて以来、「仰げば尊し」は作詞作曲とも長く謎とされてき、起源はスコットランド民謡だ、いや賛美歌だ、などと推測されてきた。しかし今年1月、一橋大名誉教授の桜井雅人さんによって原曲とみられる米国の歌の楽譜が発見された。直訳の曲名も「学校教育の終わりのための歌」というから、もともと卒業の歌だったわけである(1月25日付本紙=大阪発行)

 ◆2番を避ける理由

 仰げば尊し」は3番まであり、それぞれの歌い出しを紹介すれば1番が「仰げば尊し わが師の恩」、2番が「互いに睦(むつ)みし 日頃の恩」、そして3番が「朝夕なれにし まなびの庭」となっており、いずれも「今こそわかれめ いざ さらば」で結ばれる。簡潔な文語調の詞には気高い精神がうたいあげられている。

 さて問題は、この2番の歌詞である。学校の音楽教科書などでは2番が省かれることが多く、ちなみに手に取った小学校の音楽教科書(6年用)3点はみな、1番と3番を載せるのみである。

 2番を避けるのは、そこに出てくる「身を立て名をあげ」の詞が「立身出世」を奨励するかのようにとらえられるから-というのが、どうやら通説であるらしい。「かけっこは、みんなで一緒にゴールイン」「先生と生徒は友達関係」といった教育現場の変な平等主義をここにも垣間見るような気がしてならない。

 よしんば、この詞がいわゆる立身出世の勧めであるとしても、将来に大きな夢を描く子供たちが立身出世を願ってどこが悪いのか、全く理解に苦しむ。なにも、「心も金で買える」と言ってのけた起業家のような金満家になれというのではない。若者らしく雄飛せよ、社会を動かすほどの優れたリーダーを目指せと教えることの、いったいどこが悪いのか…。

 ◆「身を立て」は親孝行

 実はこの詞の本当の意味は、いわゆる立身出世とは全く違ったところにある。『小学唱歌集』の編纂(へんさん)に大きく貢献した伊沢修二は『洋楽事始』を著したが、同書平凡社東洋文庫の解説で校注者の山住正己が「仰げば尊し」の成立経緯を詳細に記している。

 それによれば原案は「身をたて名をたて」だったが、「庭の千草」の作詞で知られる里見義(ただし)が『孝経』の「立身行道挙名後世」を引きながら、「身をたて名をあげ」に訂正すべきだと言い、それが採用されたというのである。

 講談社学術文庫『孝経』加地伸行訳注)に当たってみたところ、この一節は世間で言う立身出世の意ではなく、「りっぱな人という評判を得、その名を後世に伝えることができ、父母の誉れとなる」として親孝行を説いたものであるとの由。加えて「身を立て」とは「身を孝に立つ」ことだとも注されている。

 同じ中国の『詩経』にも「爾(なんじ)の所生(しょせい・親)を忝(はずかし)むることなかれ」と、父母の名を貶(おとし)めることのないよう戒める詞章がある。日本では江戸時代、身を修める教科書として『論語』や『孝経』、『詩経』が盛んに読まれ、明治期でも知識人は、それら中国の書物によって教養と精神を高めたのだった。「身を立て名をあげ」の意味は当時なら、多くの人に正しく理解されたのではなかろうか。

 ◆復活させた教科書も

 仰げば尊し」はこのように、1番で「師の恩」を、2番で「親への孝行」をうたうという構成になっている。それにもかかわらず、現行の教科書が「立身出世」への誤解から2番を抜いているとしたら残念至極だが、ただ、この4月から使用される新改訂の教科書では2番を復活させたものも登場した。朗報といえよう。

 もちろん復活といっても、「仰げば尊し」そのものが歌われないことには何の意味もない。1月に開かれた日教組の教研集会では、ある小学教師がこの歌を歌わせないよう根回ししたとの報告があり、「『君が代』『仰げば尊し』の強制は子供たちのためになっているのか」と強調したそうだ。

 教員の私的な思いを子供らに押しつける教育で、そんな発言に対して仮に他の教師から何の反論も起きなかったのであれば、教研集会は異常というほかない。

 それにしてもこの春は、卒業式どころではないであろう東日本大震災の被災地の惨状が脳裏を離れない。ふと口ずさんでみる「仰げば尊し」も、静かな旋律が哀調をかきたてるように胸に重く響いてきて、何とも切ない。(せこぐち さとし)

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 前任校では式歌として「大地讃頌」を歌っていたが、音楽科から、この曲では涙も出ない。「旅立ちの日に」に変更してもらえないかとの要望があった。それならば、「仰げば尊し」も加えて式歌2曲の卒業式にしてもらえないかと提案すると、快く引き受けてくれた。

 「卒業式は友人とともに両親や教師に感謝し、自らの卒業を祝ってもらうイベントである。すべてをそなえる楽曲は「仰げば尊し」をおいてほかにない」と述べていた方がいたが、式歌としてもっともふさわしい曲のように思う。 (2013.1.7)