道徳教育を、もう50年もやっているのに、心の荒廃が叫ばれる状況になってしまった。道徳とは道得であるべきなのに、生き方を学べていない。道徳の授業で何を学んだか覚えていないという現実(高校教諭の調査)を思うと、道徳のあり方を皆で真剣に考えていくことは、喫緊(きっきん)の課題である。戦前の教育を受けた人達の中には、修身で何を学んだかを、未だに語って聞かせる人がいるのに、中学を卒業して間もない高校生が、何を教わったのか分からないという現状を放置することはできない。
道徳の授業が、道徳的価値の追求に流され過ぎている、ことが問題と感じている。おいしい料理に使われた食材や調味料を解明し、それがどんなに大切かを確認しても、おいしい料理の再現はできない。大切なのは調理(=生き方)である。我々は食材吟味のような道徳をやってきたのではないかと思っている。
道徳の授業が好きで得意であると語る教師に、中学校で出会うことはほとんどないだろう。この逆ばかりである。調査をすれば明らかになると思うが、教師が好きになれない、得意になれない、ということも問題と感じている。道徳の時間は楽しみ、と教師も生徒も感じるようでなくてならない。