にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村

本来の姿を取り戻す

「みんなの心に輝く学校をめざして」取り組んだ学校経営、「生き生きとした学校生活のために」取り組んだ生徒指導で感じた課題の解消を念頭に置いて教育問題などを考えます。

◇長崎平和宣言(9)…起草委員会で練り上げたはずだが

 被爆者代表の「平和への誓い」には以前は聞くに堪えないような政府批判が多く、被爆者なんかもうどうでもいいとの気持ちになったこともあったが、92歳の岡信子さんが読み上げた今年の誓いに、被爆者に対して寸時であってもそんな気持ちを抱いてはならないと反省した。

 市長による平和宣言は世迷言を並べたような内容が多かったが、年々良くはなっている。今年もいくつか納得できない内容があった。起草委員には思想的偏りが出ないよう配慮すべきだろう。

 日本政府と国会議員に核兵器禁止条約に署名し批准することを求めていたが、被爆者の思いであっても賛同はできない。条約への署名・批准をしても日米同盟が揺るがないなら日本はとっくに署名し批准していただろう。政府には国の平和と安全に責任がある。ヨーロッパ諸国など多くの国が署名すらしてないのはそういうことだろう。

 「戦争をしない」という日本国憲法の平和の理念を堅持することを求めていたが、日本国憲法は二度と刃向かうことができないようGHQが作らせたのであって日本が作ったものではない。憲法9条の第2項には戦力を保持しないこと、交戦権を認めないことが記されているが、文言通りなら他国に侵略されても戦うことすらできない。人権も生存の権利さえも放棄させられた憲法と言っても過言ではない。平和の理念ではなく亡国の理念と言うべきである。早急に改正しなければならない。

 核の傘」ではなく「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯構想の検討を求めていたが北朝鮮が核保有国になってしまったので非核兵器地帯構想は完全に破綻している。検討の必要性は全くない。どうしても進めたいなら長崎市がやればいいのである。

 東日本大震災から10年が経過しました。私たちは福島で起こったことを忘れません。今も続くさまざまな困難に立ち向かう福島の皆さんに心からのエールを送ります。」と福島に言及したが、福島の人たちは口先だけの応援をとても嫌がっている。東京オリンピックで韓国がとった福島産の農産物や海産物などに対する根拠のない言い掛かりに長崎は抗議の一つもしたのだろうか。平和宣言での言及は福島の風評被害の解消を遅らせるだけである。

- - - - - - - -

 長崎平和宣言

 今年、一人のカトリック修道士が亡くなりました。「アウシュビッツの聖者」と呼ばれたコルベ神父を生涯慕い続けた小崎登明さん。93歳でその生涯を閉じる直前まで被爆体験を語り続けた彼は、手記にこう書き残しました。

 世界の各国が、こぞって、核兵器を完全に『廃絶』しなければ、地球に平和は来ない。核兵器は普通のバクダンでは無いのだ。放射能が持つ恐怖は、体験した者でなければ分からない。このバクダンで、沢山の人が、親が、子が、愛する人が殺されたのだ。このバクダンを二度と、繰り返させないためには、『ダメだ、ダメだ』と言い続ける。核廃絶を叫び続ける。原爆の地獄を生き延びた私たちは、核兵器の無い平和を確認してから、死にたい。

 小崎さんが求め続けた「核兵器の無い平和」は、今なお実現してはいません。でも、その願いは一つの条約となって実を結びました。

 人類が核兵器の惨禍を体験してから76年目の今年、私たちは、核兵器をめぐる新しい地平に立っています。今年1月、人類史上初めて「全面的に核兵器は違法」と明記した国際法核兵器禁止条約が発効したのです。

 この生まれたての条約を世界の共通ルールに育て、核兵器のない世界を実現していくためのプロセスがこれから始まります。来年開催予定の第1回締約国会議は、その出発点となります。

 一方で、核兵器による危険性はますます高まっています。核不拡散条約(NPT)で核軍縮の義務を負っているはずの核保有国は、英国が核弾頭数の増加を公然と発表するなど、核兵器への依存を強めています。また、核兵器を高性能のものに置き換えたり、新しいタイプの核兵器を開発したりする競争も進めています。

 この相反する二つの動きを、核兵器のない世界に続く一つの道にするためには、各国の指導者たちの核軍縮への意志と、対話による信頼醸成、そしてそれを後押しする市民社会の声が必要です。

 日本政府と国会議員に訴えます。
 核兵器による惨禍を最もよく知るわが国だからこそ、第1回締約国会議にオブザーバーとして参加し、核兵器禁止条約を育てるための道を探ってください。日本政府は、条約に記された核実験などの被害者への援助について、どの国よりも貢献できるはずです。そして、一日も早く核兵器禁止条約に署名し、批准することを求めます。

 「戦争をしない」という日本国憲法の平和の理念を堅持するとともに、核兵器のない世界に向かう一つの道として、「核の傘」ではなく「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯構想について検討を始めてください。

 核保有国と核の傘の下にいる国々のリーダーに訴えます。
 国を守るために核兵器は必要だとする「核抑止」の考え方のもとで、世界はむしろ危険性を増している、という現実を直視すべきです。次のNPT再検討会議で世界の核軍縮を実質的に進展させること、そのためにも、まず米ロがさらなる核兵器削減へ踏み出すことを求めます。

 地球に住むすべての皆さん。
 私たちはコロナ禍によって、当たり前だと思っていた日常が世界規模で失われてしまうという体験をしました。そして、危機を乗り越えるためには、一人ひとりが当事者として考え、行動する必要があることを学びました。今、私たちはパンデミック収束後に元に戻るのではなく、元よりもいい未来を築くためにどうすればいいのか、という問いを共有しています。

 核兵器についても同じです。私たち人類はこれからも、地球を汚染し、人類を破滅させる核兵器を持ち続ける未来を選ぶのでしょうか。脱炭素化やSDGsの動きと同じように、核兵器がもたらす危険についても一人ひとりが声を挙げ、世界を変えるべき時がきているのではないでしょうか。

 「長崎を最後の被爆地に」
 この言葉を、長崎から世界中の皆さんに届けます。広島が「最初の被爆地」という事実によって永遠に歴史に記されるとすれば、長崎が「最後の被爆地」として歴史に刻まれ続けるかどうかは、私たちがつくっていく未来によって決まります。この言葉に込められているのは、「世界中の誰にも、二度と、同じ体験をさせない」という被爆者の変わらぬ決意であり、核兵器禁止条約に込められた明確な目標であり、私たち一人ひとりが持ち続けるべき希望なのです。

 この言葉を世界の皆さんと共有し、今年から始まる被爆100年に向けた次の25年を、核兵器のない世界に向かう確かな道にしていきましょう。

 長崎は、被爆者の声を直接聞ける最後の世代である若い皆さんとも力を合わせて、忘れてはならない76年前の事実を伝え続けます。

 被爆者の平均年齢は83歳を超えています。日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と、被爆体験者の救済を求めます。

 東日本大震災から10年が経過しました。私たちは福島で起こったことを忘れません。今も続くさまざまな困難に立ち向かう福島の皆さんに心からのエールを送ります。

 原子爆弾によって亡くなられた方々に哀悼の意を捧げ、長崎は、広島をはじめ平和を希求するすべての人々とともに「平和の文化」を世界中に広め、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くしていくことを、ここに宣言します。

2021年(令和3年)8月9日 長崎市長 田 上 富 久

 

    平和への誓い『命ある限り語り継ぐ』

 ふるさと長崎で93回目の夏を迎えました。大好きだった長崎の夏が76年前から変わってしまいました。戦時下は貧しいながらも楽しい生活がありました。しかし、原爆はそれさえも奪い去ってしまったのです。

 当時16歳の私は、大阪第一陸軍病院大阪日本赤十字看護専門学校の学生で、大阪大空襲で病院が爆撃されたため、8月に長崎に帰郷していました。長崎では、日本赤十字社の看護婦が内外地の陸・海軍病院へ派遣され、私たち看護学生は自宅待機中でした。8月9日、私は現在の住吉町の自宅で被爆して、爆風により左半身に怪我(けが)を負いました。

 被爆3日後、長崎県赤支部より「キュウゴシュットウセヨ」との電報があり、新興善救護所へ動員されました。看護学生である私は、衛生兵や先輩看護婦の見よう見まねで救護に当たりました。3階建ての救護所には次々と被爆者が運ばれて、2階3階はすぐにいっぱいとなりました。亡くなる人も多く、戸板に乗せ女性2人で運動場まで運び出し、大きなトラックの荷台に角材を積み重ねるように遺体を投げ入れていました。解剖室へ運ばれる遺体もあり、胸から腹にわたりウジだらけになっている遺体を前に思わず逃げだそうとしました。その時、「それでも救護員か!」という衛生兵の声で我(われ)に返り頑張りました。

 不眠不休で救護に当たりながら、行方のわからない父のことが心配になり、私自身も脚の傷にウジがわき、キリで刺すように痛む中、早朝から人馬の亡きがらや、瓦礫(がれき)で道なき道を踏み越え歩き、辺りが暗くなるまで各救護所を捜しては新興善へ戻ったりの繰り返しでした。大怪我をした父を時津国民学校救護所でやっと捜すことができました。「お父さん生きていた!私、頑張って捜したよ!」と泣いて抱き付きました。

 父を捜す途中、両手でお腹(なか)から飛び出した内臓を抱え呆然(ぼうぜん)と立っている男性、片脚で黒焦げのまま壁に寄りかかっている人、首が千切(ちぎ)れた乳飲み子に最後にお乳を飲ませようとする若い母親を見ました。道ノ尾救護所では、小さい弟を負ぶった男の子が「汽車の切符を買ってください」と声を掛けてきました。「どこへ行くの?」と聞くと、お父さんは亡くなり、「お母さんを捜しに諫早か大村まで行きたい」と、私より幼い兄弟がどこにいるか分からない母親を捜しているのです。救護しながら、あの幼い兄弟を想い、胸が詰まりました。

 今年1月に、被爆者の悲願であった核兵器禁止条約が発効しました。核兵器廃絶への一人一人の小さな声が世界中の大きな声となり、若い世代の人たちがそれを受け継いでくれたからです。

 今、私は大学から依頼を受けて「語り継ぐ被爆体験」の講演を行っています。私たち被爆者は命ある限り語り継ぎ、核兵器廃絶と平和を訴え続けていくことを誓います。

  令和3年8月9日  被爆者代表 岡信子    (2021.8.11)

◇広島平和宣言(10)…被爆者の思いであっても

    広島の平和記念式典は、日本人にも外国人にも顰蹙を買うようなことはもうないだろう。平和宣言も穏やかに拝聴することができた。平和への誓いも素晴らしい内容だった。

 広島市長は平和宣言で核兵器禁止条約の締約国になることを今年も政府に要望したが、被爆者の思いであっても賛同できない。

 日本が台湾有事に軍事介入すれば中国は即座に日本への核攻撃に踏み切るとの戦略をまとめた動画が中国で拡散しているとのことだが、政府の承認がなければそんな動画が拡散するはずがない。

 日米同盟が機能しなくなり日本を核攻撃しても核戦争にならないとなれば、中国は核攻撃するかもしれない。中国の傍若無人な振る舞いを見ていれば絶対ないとは言えない。政府には国の平和と安全を守り抜く責任がある。核兵器禁止条約の締約国にならないのは当然である。

- - - - - - - -

   平和宣言

 76年前の今日、我が故郷は、一発の原子爆弾によって一瞬で焦土と化し、罪のない多くの人々に惨(むご)たらしい死をもたらしただけでなく、辛うじて生き延びた人々も、放射線障害や健康不安、さらには生活苦など、その生涯に渡って心身に深い傷を残しました。被爆後に女の子を生んだ被爆者は、「原爆の恐ろしさが分かってくると、その影響を思い、我が身よりも子どもへの思いがいっぱいで、悩み、心の苦しみへと変わっていく。娘の将来のことを考えると、一層苦しみが増し、夜も眠れない日が続いた。」と語ります。

 「こんな思いは他の誰にもさせてはならない」、これは思い出したくもない辛く悲惨な体験をした被爆者が、放射線を浴びた自身の身体(からだ)の今後や子どもの将来のことを考えざるを得ず、不安や葛藤、苦悩から逃れられなくなった挙句に発した願いの言葉です。被爆者は、自らの体験を語り、核兵器の恐ろしさや非人道性を伝えるとともに、他人を思いやる気持ちを持って、平和への願いを発信してきました。こうした被爆者の願いや行動が、75年という歳月を経て、ついに国際社会を動かし、今年1月22日、核兵器禁止条約の発効という形で結実しました。これからは、各国為政者がこの条約を支持し、それに基づき、核の脅威のない持続可能な社会の実現を目指すべきではないでしょうか。

 今、新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、人類への脅威となっており、世界各国はそれを早期に終息させる方向で一致し対策を講じています。その世界各国が戦争に勝利するために開発され、人類に凄惨(せいさん)な結末をもたらす脅威となってしまった核兵器を、一致協力して廃絶できないはずはありません。持続可能な社会の実現のためには、人々を無差別に殺害する核兵器との共存はあり得ず、完全なる撤廃に向けて人類の英知を結集する必要があります。

 核兵器廃絶の道のりは決して平坦ではありませんが、被爆者の願いを引き継いだ若者が行動し始めていることは未来に向けた希望の光です。あの日、地獄を見たと語る被爆者は、「たとえ小さなことからでも、一人一人が平和のためにできることを行い、かけがえのない平和を守り続けてもらいたい。」と、未来を担う若者に願いを託します。これからの若い人にお願いしたいことは、身の回りの大切な人が豊かで健やかな人生を送るためには、核兵器はあってはならないという信念を持ち、それをしっかりと発信し続けることです。

 若い人を中心とするこうした行動は、必ずや各国の為政者に核抑止政策の転換を決意させるための原動力になることを忘れてはいけません。被爆から3年後の広島を訪れ、復興を目指す市民を勇気づけたヘレン・ケラーさんは、「一人でできることは多くないが、皆一緒にやれば多くのことを成し遂げられる。」という言葉で、個々の力の結集が、世界を動かす原動力となり得ることを示しています。為政者を選ぶ側の市民社会に平和を享受するための共通の価値観が生まれ、人間の暴力性を象徴する核兵器はいらないという声が市民社会の総意となれば、核のない世界に向けての歩みは確実なものになっていきます。被爆地広島は、引き続き、被爆の実相を「守り」、国境を越えて「広め」、次世代に「伝える」ための活動を不断に行い、世界の165か国・地域の8,000を超える平和首長会議の加盟都市と共に、世界中で平和への思いを共有するための文化、「平和文化」を振興し、為政者の政策転換を促す環境づくりを進めていきます。

 核軍縮議論の停滞により、核兵器を巡る世界情勢が混迷の様相を呈する中で、各国の為政者に強く求めたいことがあります。それは、他国を脅すのではなく思いやり、長期的な友好関係を作り上げることが、自国の利益につながるという人類の経験を理解し、核により相手を威嚇し、自分を守る発想から、対話を通じた信頼関係をもとに安全を保障し合う発想へと転換するということです。そのためにも、被爆地を訪れ、被爆の実相を深く理解していただいた上で、核兵器不拡散条約に義務づけられた核軍縮を誠実に履行するとともに、核兵器禁止条約を有効に機能させるための議論に加わっていただきたい。

 日本政府には、被爆者の思いを誠実に受け止めて、一刻も早く核兵器禁止条約の締約国となるとともに、これから開催される第1回締約国会議に参加し、各国の信頼回復と核兵器に頼らない安全保障への道筋を描ける環境を生み出すなど、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たしていただきたい。また、平均年齢が84歳近くとなった被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により、生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、黒い雨体験者を早急に救済するとともに、被爆者支援策の更なる充実を強く求めます。

 本日、被爆76周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と手を取り合い、共に力を尽くすことを誓います。

 令和3年(2021年)8月6日 広島市長 松井 一實

 (2021.8.6)

◇課題がなければ設定の必要はない

 学校課題は大学生の卒業研究のような研究課題でもないし、研究学校で設定されるような研究主題でもない。教育活動を行う上で解決しなければならない課題があればそれが学校課題だろう。しかし、そう考える学校は少ないかもしれない。

 「個性を生かし、課題に取り組む生徒の育成指導に生きる評価の工夫を通して」、教職7校目の中学校の学校課題(平成16年度、足利北中)である。何年間も全く同じで課題の解説も設定の経緯も記載がなかった。教職員にとっては設定されていただけの課題でしかなかったように思う。他校の課題も同じようなものだった。

◆輝きのある生徒・根気強くやりぬく生徒の育成」(I中)
◆自ら課題を持ち、主体的に学習に取り組む生徒の育成」(S中)
◆一人一人の個性を伸ばし、心豊かな生徒を育成する互いに高め合う集団活動を通して(K中)
◆一人一人の心の中を理解し、支え励ます教師(T中)
◆生きる力をはぐくむ教育課程の編成と指導法の改善一人一人の学びとる力を育てる授業の改善をめざして(KY中)
◆互いに励まし合い、困難を乗り越えられる生徒の育成生徒の悩みや願いを生徒の目線で聴ける教師(A中)
◆豊かな心をもち、逞しく学ぶ生徒の育成(SA中)

 研究という視点に立つと研究主題のようになってしまうのかもしれない。解決しなければならない課題と考えると、「自他を尊重し行動する」、「自分で考え正しく判断できる」、「互いに高め合い根気強く取り組む」といった文言が入っていれば、生徒の多くが「自他を尊重して行動しない」、「自分で考えず正しい判断ができない」、「互いに高め合うことがなく根気強く取り組むことがない」ので設定したということになり滑稽である。

 過去のブログで「チャイムとともに学習を開始する」、「授業開始までに教科書ノートを開いておく」、「教科書(英数国社理)は毎日持ち帰る」といった具体的課題が望ましいと書いたが、課題が特になければ設定の必要はない。研究主題のような課題を設定したのではブラックの解消など遠のくばかりである。  (2021.8.1)

◇美しい柔道だった

 リオデジャネイロのオリンピックで、柔道73㎏級で金メダルを獲得した大野将平選手を過去のブログ「強いだけじゃない」に書いたが、大野選手は東京オリンピックでも73㎏級に出場し、延長の末にジョージアのシャフダトゥアシビリ選手に優勢勝ちし2大会連続金メダルの偉業を成し遂げた。

 今回の試合(全5試合)でも勝ち誇るような派手な振る舞いは一切なく、試合後には深々と礼をし畳を降りていた。正しく組んで正しく投げる伝統的な柔道を磨き、正々堂々と相手に立ち向かう姿には心を動かされるものがある。

 競技者なら誰でも試合には勝ちたいし強くなりたいと思うものだが、強くても正しくなければならない。強くて正しくしかも美しければ、子どもたちがやってみたいという気持ちにもなる。子どもに習わせたいと思う人も増えていく。

 柔道の素晴らしさ、強さ、美しさを伝えたいとの大野選手の思いは前回大会よりも強く伝わったのではなかろうか。何といっても美しい柔道だった。  (2021.7.28)

◇教育目標(6)…生徒の目標になっているか

 現在は廃校になっている学校佐野市吾妻中)の教育目標を「智・恕・健」に変更したことを以前書いたが、変更したのは学校教育目標が教職員の目標になっていなかったこと、そして、生徒にとっても目標にはなっていないだろうと考えたからである。

 ◆心身ともに健康な生徒
 ◆自ら考え想像力を高める生徒
 ◆広い心で協調できる生徒
 ◆根気強く努力する生徒

 望む生徒像を目標にしていたが、「心身ともに健康」とか、「広い心で協調」、「根気強く努力」ならともかく、「自ら考え想像力を高める」ことを生徒が目標にしていたとは思えない。

 現職最後の学校(足利西中)でも目標を変更した。目標は額に入れられ教室前面に掲示されていたが、三つとも覚えていた教職員はいなかった。教職員が覚えていないくらいなので生徒も同じだったのではないかと思う。

 ◆自分に厳しく、自ら学ぶ生徒
 ◆思いやりの心を持ったすなおな生徒
 ◆心身ともに健康な生徒

 この目標も生徒の目標になっていないと思った。生徒の目標には校訓がいいと考えていたので「強く 正しく 美しく」の校訓を設定し教室前面に掲示した。学校教育目標は「校訓が息づく生徒を育成する」と変更した。

 生徒の目標にもなるようにとの観点で教育目標を見直せば、多くの学校で変更が必要になるかもしれない。教職員や生徒に日常的に意識される目標であることが大事である。 (2021.7.17)

◇教育目標(5)…どうしてこうも目標が多いのか

 学校が行うあらゆる教育活動は教育目標の達成にあると過去のブログに書いたが、学校教育目標は、学校が教育活動を通して生徒をどのように育てるかを明らかにしたものなので当たり前である。生徒や保護者、住民の学校への期待、地域の歴史や伝統、教職員などを考慮して展開される教育活動は学校固有のものであり、したがって、教育目標も学校固有のものになる。

 学校には学校教育目標の他にも多くの目標がある。どこの学校の教育概要(冊子にしていることが多い)を見ても同じようなものである。

 

◆学校経営計画には学校の教育目標 ◆学習指導計画では全体指導計画の目標教科の指導計画(9教科)国語・社会・数学・理科・音楽・美術・保健体育・技術家庭・英語に学年ごと、あるいは分野別の目標が ◆道徳教育指導計画の目標 ◆総合的な学習の時間指導計画の目標 ◆特別活動計画では全体計画の目標学級活動年間計画の目標生徒会活動年間計画の目標学校行事年間計画の目標 ◆学年経営計画では各学年の経営目標 特別支援学級経営計画の目標◆その他の教育計画、人権教育・特別支援教育・国際理解教育・福祉教育・情報教育・環境教育・視聴覚教育・学校図書館教育・進路指導・健康安全指導・給食指導・清掃美化指導・生徒指導・部活動指導などにもそれぞれ目標がある。目標は数個の場合が多く、いくつあるのか分からないくらいである。目標も多いが、努力点や具体策はそれ以上に書き込まれている。

 

 このような状況にあるので、学校教育目標は「譬えば北辰の、その所に居て、衆星の之に共(むか)うが如し論語・為政篇)(=天の北極の不動の座をめぐって、多くの星が秩序正しく運行する)のような存在と考えることもできる。したがって、教職員にとって存在感のないものであってはならないだろう。 (2021.7.13)

◇快報…教員免許更新制の廃止

 教員免許更新制廃止の記事(2021年7月11日、読売新聞)は教員にとって何よりの知らせだろう。政府は来年の通常国会に必要な法改正案を提出する考えとのことである。更新制は教員の負担の割には資質向上の効果が薄いとの判断があり、免許を無期限とする代わりに教育委員会による研修を充実強化させるとのことだ。

 免許に10年の期限を設け、約3万円の講習費を負担させて30時間以上の講習を義務づけていたが、夏休みなどに受けざるを得ず8割を超える教員が負担に感じていた一方、役に立っていると考える教員は3人に1人にとどまっていたのだそうだ。また、免許を更新せずに失効するケースが多いため、産休や育休の代替教員の補充が難しくなっている問題や現職教員が受けるのを忘れたうっかり失効も相次いでいるとのことだ。

 更新制は、「教育再生」を掲げた第1次安倍内閣の2007年の法改正で導入が決まり、2009年度から実施されたわけだが、教育現場では最初から疑問視されていたものだった。現場の声に耳を傾けていたら更新制の導入はなかっただろう。更新制の廃止の代わりの研修の充実強化など必要ない。教員の負担感は教員不足につながっていくことになる。 (2021.7.11)