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本来の姿を取り戻す

「みんなの心に輝く学校をめざして」取り組んだ学校経営、「生き生きとした学校生活のために」取り組んだ生徒指導で感じた課題の解消を念頭に置いて教育問題などを考えます。

◇長崎平和宣言(8)…吟味不十分では

 被爆者代表の「平和への誓い」は昨年今年と嫌悪感を感じることもなかった。以前は聞くに堪えないような批判が多く被爆者なんかもうどうでもいいとの気持ちを抱かせた。広島は平和記念式典だが、長崎は平和祈念式典であるだけに疑問を感じた人も少なくなかっただろう。

 市長の「平和宣言」は年々改善され良くなっているが、まだ十分ではない。今年も納得できない内容がある。

 核兵器の怖さを体験した国として、一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。」と日本政府と国会議員に訴えていたが、

 核保有国は条約に反対であり、非核保有国のベルギー、オランダ、ドイツ、ポーランドなど、多くのヨーロッパ諸国、その他の国の多くも署名すらしていない。どうしてなのかを考えると政府が核兵器禁止条約への署名・批准をしないのは当然だろう。

 日本の平和と安全には日米同盟が不可欠でありしっかり機能する状態は安全保障上非常に重要だ。同盟が揺らぐようなことをしてはならない。

 北東アジア非核兵器地帯の構築には、中国、ロシア、北朝鮮、韓国、日本を非核兵器地帯にするための方策をまずは長崎市が示すべきだろう。何の見通しもない要望など無意味である。

 また、「戦争をしないという決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください。」と述べているが、

 日本国憲法は戦争をしないという決意を込めて日本人が作ったのではない。二度と刃向かうことができないようにとの決意を込めてGHQが作らせたのではないのか。

 憲法9条の第2項には戦力を保持しないこと、交戦権を認めないことが記されている。文言通りなら他国に侵略されても戦うことすらできない。

 国民が虫けらのように殺されてもそれを受け入れろというのか。人権も生存の権利さえも放棄させられた憲法と言っても過言ではない。平和の理念ではなく亡国の理念と言うべきだろう。永久に堅持など正気の沙汰ではない。

 東日本大震災から9年が経過しました。長崎は放射能の脅威を体験したまちとして、復興に向け奮闘されている福島の皆さんを応援します。」と毎年福島に言及しているが、

 福島の人たちは口先だけの応援をとても嫌がっている。福島に言及することによって福島はまだ放射能で汚染されていると受け止められれば福島産の農産物や海産物の風評被害は解消されない。取って付けたような言及は止めるべきだろう。

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  長崎平和宣言

 私たちのまちに原子爆弾が襲いかかったあの日から、ちょうど75年。4分の3世紀がたった今も、私たちは「核兵器のある世界」に暮らしています。

 どうして私たち人間は、核兵器をいまだになくすことができないでいるのでしょうか。人の命を無残に奪い、人間らしく死ぬことも許さず、放射能による苦しみを一生涯背負わせ続ける、このむごい兵器を捨て去ることができないのでしょうか。

 75年前の8月9日、原爆によって妻子を亡くし、その悲しみと平和への思いを音楽を通じて伝え続けた作曲家・木野普見雄さんは、手記にこうつづっています。

 私の胸深く刻みつけられたあの日の原子雲の赤黒い拡(ひろ)がりの下に繰り展(ひろ)げられた惨劇、ベロベロに焼けただれた火達磨(ひだるま)の形相や、炭素のように黒焦げとなり、丸太のようにゴロゴロと瓦礫(がれき)の中に転がっていた数知れぬ屍体(したい)、髪はじりじりに焼け、うつろな瞳でさまよう女、そうした様々な幻影は、毎年めぐりくる八月九日ともなれば生々しく脳裡(のうり)に蘇(よみがえ)ってくる。

 被爆者は、この地獄のような体験を、二度とほかの誰にもさせてはならないと、必死で原子雲の下で何があったのかを伝えてきました。しかし、核兵器の本当の恐ろしさはまだ十分に世界に伝わってはいません。新型コロナウイルス感染症が自分の周囲で広がり始めるまで、私たちがその怖さに気づかなかったように、もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまいます。

 今年は、核拡散防止条約(NPT)の発効から50年の節目にあたります。

 この条約は「核保有国をこれ以上増やさないこと」「核軍縮に誠実に努力すること」を約束した、人類にとってとても大切な取り決めです。しかしここ数年、中距離核戦力(INF)全廃条約を破棄してしまうなど、核保有国の間に核軍縮のための約束を反故(ほご)にする動きが強まっています。それだけでなく、新しい高性能の核兵器や、使いやすい小型核兵器の開発と配備も進められています。その結果、核兵器が使用される脅威が現実のものとなっているのです。

 “残り100秒”。地球滅亡までの時間を示す「終末時計」が今年、これまでで最短の時間を指していることが、こうした危機を象徴しています。

 3年前に国連で採択された核兵器禁止条約は「核兵器をなくすべきだ」という人類の意思を明確にした条約です。核保有国や核の傘の下にいる国々の中には、この条約をつくるのはまだ早すぎるという声があります。そうではありません。核軍縮があまりにも遅すぎるのです。

 被爆から75年、国連創設から75年という節目を迎えた今こそ、核兵器廃絶は、人類が自らに課した約束“国連総会決議第1号”であることを、私たちは思い出すべきです。

 昨年、長崎を訪問されたローマ教皇は、二つの“鍵”となる言葉を述べられました。一つは「核兵器から解放された平和な世界を実現するためには、すべての人の参加が必要です」という言葉。もう一つは「今、拡大しつつある相互不信の流れを壊さなくてはなりません」という言葉です。

 世界の皆さんに呼びかけます。平和のために私たちが参加する方法は無数にあります。

 今年、新型コロナウイルスに挑み続ける医療関係者に、多くの人が拍手を送りました。被爆から75年がたつ今日まで、体と心の痛みに耐えながら、つらい体験を語り、世界の人たちのために警告を発し続けてきた被爆者に、同じように、心からの敬意と感謝を込めて拍手を送りましょう。

 この拍手を送るという、わずか10秒ほどの行為によっても平和の輪は広がります。今日、大テントの中に掲げられている高校生たちの書にも、平和への願いが表現されています。折り鶴を折るという小さな行為で、平和への思いを伝えることもできます。確信を持って、たゆむことなく、「平和の文化」を市民社会に根づかせていきましょう。

 若い世代の皆さん。新型コロナウイルス感染症地球温暖化核兵器の問題に共通するのは、地球に住む私たちみんなが“当事者”だということです。あなたが住む未来の地球に核兵器は必要ですか。核兵器のない世界へと続く道を共に切り開き、そして一緒に歩んでいきましょう。

 世界各国の指導者に訴えます。

 「相互不信」の流れを壊し、対話による「信頼」の構築をめざしてください。今こそ「分断」ではなく「連帯」に向けた行動を選択してください。来年開かれる予定のNPT再検討会議で、核超大国である米露の核兵器削減など、実効性のある核軍縮の道筋を示すことを求めます。

 日本政府と国会議員に訴えます。

 核兵器の怖さを体験した国として、一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください。

 そして、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、未(いま)だ被爆者と認められていない被爆体験者に対する救済を求めます。

 東日本大震災から9年が経過しました。長崎は放射能の脅威を体験したまちとして、復興に向け奮闘されている福島の皆さんを応援します。

 新型コロナウイルスのために、心ならずも今日この式典に参列できなかった皆様とともに、原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意をささげ、長崎は、広島、沖縄、そして戦争で多くの命を失った体験を持つまちや平和を求めるすべての人々と連帯して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることを、ここに宣言します。

   2020(令和2)年8月9日  長崎市長 田上富久

 (2020.8.17)

 

 

◇その気になればできないことは少ない

 何かを変えようとするとそれを望む人もいるが望まない人もいる。そんな時にはどうしてそれが必要なのかを丁寧に説明し納得してもらえるまで待つようにする。学校現場はそうやって物事を進めることが大事で上意下達のような方法ではいい結果を生まない。

 何年も続けてきた教育活動の廃止や変更、新たな取り組みに抵抗を感じ反発した人も少なくなかった。国旗を全教室に掲げたこと、生徒名簿を混合から男女別にしたこと、足利市歌を全生徒が歌えるようにしたこと、県の特別活動部会が作成していた「担任必携」を廃止したこと、2年生で実施している宿泊学習をスキーから林間学校に変更したこと、離任式を新年度ではなく年度末に行うことにしたことなど、かなりの反対もあったがやってよかったと感じている。

 教職員評価については疑問に思うことが多々あり、何とかならないかと行動したがどうにもならなかった。定例校長会議で事務所の所長が質問があったら市教委を通してと言うので市教委を通して質問すると、いつまで経っても回答がなかった。そこで再度質問をしたが回答はなかった。

 教職員評価導入に関わった人たちの否定に繋がっても、県教委の面目が保てなくなっても、望ましくなければそれまでにどれほど予算をつぎ込んだことでも変更する。そのために行動できないのは、そんな気概がなかったからかもしれない。教職員評価に何の疑問も感じていなかったとはとても思えない。

 あまり評判はよくないが、トランプ大統領は前政権が進めたことでも遠慮なく廃止や変更をしてしまう。善いか悪いかはさておき現状変更に躊躇しない姿勢は評価されるべきだろう。変化を嫌う日本のような国はトランプ大統領を見習ってもいいのではなかろうか。  (2020.8.11)

◇広島平和宣言(9)…無責任としか思えない

 平和宣言は年々改善されているが、核兵器禁止条約に対しての主張には納得できない。

 「日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たすためにも、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めて同条約の締約国になり、唯一の戦争被爆国として、世界中の人々が被爆ヒロシマの心に共感し「連帯」するよう訴えていただきたい。」と市長は述べたが、政府が核兵器禁止条約への署名・批准をしないのは当然である。

 ドイツ、オランダ、ベルギー、デンマークポーランドエストニアラトビアリトアニアブルガリアルーマニア、スペイン、ポルトガル、韓国、オーストラリア、その他多くの国が署名すらしていない。どうしてなのかを考えてもらいたいものだ。

 条約への署名・批准をしても日米同盟はゆるがないと考えているのだろうか。国の平和と安全を考えたら被爆者の思いであっても受け入れることなどできない。子や孫たちに広島のような体験を絶対にさせてはならないからだ。

 いじめは、いじめたら激しく反撃してくるような相手をいじめない。日米同盟がしっかり機能する状態は安全保障上非常に重要だ。日米同盟がなくなったら、明日にでも攻撃してくるような国がある現状を脅威に思う国民なら、憲法によって平和が維持されるかのような主張がいかに愚かで的外れかを感じているだろう。

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   平和宣言

 1945年8月6日、広島は一発の原子爆弾により破壊し尽くされ、「75年間は草木も生えぬ」と言われました。しかし広島は今、復興を遂げて、世界中から多くの人々が訪れる平和を象徴する都市になっています。

 今、私たちは、新型コロナウイルスという人類に対する新たな脅威に立ち向かい、踠(もが)いていますが、この脅威は、悲惨な過去の経験を反面教師にすることで乗り越えられるのではないでしょうか。

 およそ100年前に流行したスペイン風邪は、第一次世界大戦中で敵対する国家間での「連帯」が叶わなかったため、数千万人の犠牲者を出し、世界中を恐怖に陥(おとしい)れました。その後、国家主義の台頭もあって、第二次世界大戦へと突入し、原爆投下へと繋がりました。

 こうした過去の苦い経験を決して繰り返してはなりません。そのために、私たち市民社会は、自国第一主義に拠ることなく、「連帯」して脅威に立ち向かわなければなりません。

 原爆投下の翌日、「橋の上にはズラリと負傷した人や既に息の絶えている多くの被災者が横たわっていた。大半が火傷で、皮膚が垂れ下がっていた。『水をくれ、水をくれ』と多くの人が水を求めていた。」という惨状を体験し、「自分のこと、あるいは自国のことばかり考えるから争いになるのです。」という当時13歳であった男性の訴え。

 昨年11月、被爆地を訪れ、「思い出し、ともに歩み、守る。この三つは倫理的命令です。」と発信されたローマ教皇の力強いメッセージ。

 そして、国連難民高等弁務官として、難民対策に情熱を注がれた緒方貞子氏の「大切なのは苦しむ人々の命を救うこと。自分の国だけの平和はありえない。世界はつながっているのだから。」という実体験からの言葉。

 これらの言葉は、人類の脅威に対しては、悲惨な過去を繰り返さないように「連帯」して立ち向かうべきであることを示唆しています。

 今の広島があるのは、私たちの先人が互いを思いやり、「連帯」して苦難に立ち向かった成果です。実際、平和記念資料館を訪れた海外の方々から「自分たちのこととして悲劇について学んだ。」、「人類の未来のための教訓だ。」という声も寄せられる中、これからの広島は、世界中の人々が核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて「連帯」することを市民社会の総意にしていく責務があると考えます。

 ところで、国連に目を向けてみると、50年前に制定されたNPT(核兵器不拡散条約)と、3年前に成立した核兵器禁止条約は、ともに核兵器廃絶に不可欠な条約であり、次世代に確実に「継続」すべき枠組みであるにもかかわらず、その動向が不透明となっています。世界の指導者は、今こそ、この枠組みを有効に機能させるための決意を固めるべきではないでしょうか。

 そのために広島を訪れ、被爆の実相を深く理解されることを強く求めます。その上で、NPT再検討会議において、NPTで定められた核軍縮を誠実に交渉する義務を踏まえつつ、建設的対話を「継続」し、核兵器に頼らない安全保障体制の構築に向け、全力を尽くしていただきたい。

 日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たすためにも、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めて同条約の締約国になり、唯一の戦争被爆国として、世界中の人々が被爆ヒロシマの心に共感し「連帯」するよう訴えていただきたい。また、平均年齢が83歳を超えた被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。

 本日、被爆75周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。

  令和2年(2020年)8月6日 広島市長 松井 一實

 (2020.8.8)

◇携帯電話(5)…原則禁止を維持すべきだった

 文部科学省は令和2年7月13日、原則禁止としてきたスマートフォンなどの携帯電話の学校への持ち込みについて、外部有識者による会議での了承を受け中学校では条件付きで容認する方針を決めた。小学校では従来通り原則禁止を維持するが、保護者の申請があれば例外的に認められる。7月中に全国の教育委員会に通知されるとのことだが、通知には強制力はなく教委や学校が最終判断をすることになる。

 子どもの利用率の増加(中学生は約7割)を踏まえ災害時などの緊急連絡手段として有効と判断したこと、特に中学生は部活動などで帰宅時間が遅くなる生徒も多く保護者からの要望があることを踏まえて見直したとのことだ。学校内での管理方法やトラブル発生時の責任の所在を明確にすること、有害サイトへの接続を制限する「フィルタリング」を保護者が設定すること、正しい使い方を学校や家庭が適切に指導することが持ち込みの条件となる。校内での使用は禁止である。

 先行の大阪府は43の自治(33市、9町、1村)のわずか3町が許可しているとのことなので、原則禁止の方針を改めたとしても一気に広がることはないのかもしれないが、持ち込みを認める学校や希望する生徒は確実に増えていくだろう。

 登下校中に起こる災害や犯罪の危険性よりも、持ち込みで起こる弊害(紛失や盗難、歩きスマホ、休み時間や授業中の通話やメール、盗撮、画像の流出など)の方がはるかに大きな問題だろう。普及率を考慮すると保護者を巻き込んで分別のある使い方を考えた方が教育的との考えが文科省にあったようだが、教育の現場をあまりにも知らな過ぎる。

 大幅な超過勤務や本来の業務以外の様々な雑務を強いられ心身を病む教員が多数出ている教育現場はブラック職場と言われたりするが、負担軽減どころか新たな負担が加わることになる。校内への持ち込みによって問題が発生したら学校には一切責任がないということにはならない。学校の希望で持ち込ませたわけでもないのに責任を追及されるかもしれない。正しい使い方は学校ではなく販売した業者や保護者、文科省が教えるべきだろう。文科省には現場の負担軽減との観点で教育を考えてほしいものだ。(2020.7.31)

◇郷に入っては郷に従う

 15年程前になるが、姉妹都市であるイリノイ州スプリングフィール市に、中学生18名を引率して訪問した。アメリカ人などには適度に間合をとって近づかないようにしてきた人間が私的な旅行ではない訪米など思いも寄らないことだった。

 こんなことではアメリカが嫌いなのではと思われるかもしれないが、ニュースやドラマなどで得たアメリカという国にはいい印象があった。レーガン大統領はソビエト連邦について、「平気で嘘をつく国」と内外の記者団を前に語ったが、こんなにはっきり言っていいのかと感じてしまったことがある。また、大統領についてはこんな話も聞いた。「大統領、あなたにとって最も大切なものは」と聞かれ、「それはナンシーだ」と妻のナンシーさんを抱き寄せたというのである。日本人なら恥ずかしくてできないだろう。国民性なのかもしれないがはっきりものを言う気質は見習いたいことだった。

 11日間の仕事だと考えると負担になるので、折角の機会だから楽しん来ようとの気持ちで出かけた。アメリカで何をしたいかといった質問にアメリカ人の見方考え方が知りたいと送っていたこともありホームスティではじっくり話し合うことができた。

 話題になったことは9月11日のテロ、真珠湾攻撃、広島長崎への原爆投下、北朝鮮による拉致、キューバアメリカ産牛肉の日本の対応、国旗など、意見が一致する度に握手するといった具合で話は続いた。

 「団長さん、そんな話をして気まずくなりませんでしたか」と団員に聞かれたが、気まずい思いはしなかった。お世話になった現地ガイド(日本人女性)スプリングフィールド市を離れる時に多くの団長は終わってホッとしたとのコメントを残して帰ったのとのことだったが、私はもっといたいという気分だった。原爆では「20万人が焼き殺された。許せない」といった考えを述べたりしていたので、どう受け止められているか不安もあったが、今度の団長は非常に率直、好感がもてると話していると知らされた。

 意見を述べられないのは無能だからと外国人には受け止められてしまう。レーガン大統領のようにはできなくても意見を述べられないようでは国際交流はできない。郷に入っては郷に従えは日本だけのことではなさそうだ。  (2020.7.23)

◇寛仁大度

 人の上に立つ人間には寛大さが必要だが、人を厳しく責め立てるような人間も中にはいる。そんな管理職は教職員の手本にはならないし学校経営には失敗するだろう。教員の世界だけでなくどこでも同じではなかろうか

 「このハゲー!」などの暴言で世間を騒がせた女性国会議員は、当選後数年の間に秘書など100人以上のスタッフが辞めていったのだそうで、対応には相当な問題があったのだろう。新潟出身の元財務官僚だった男性議員も秘書への暴言「バカ、死ね」などで顰蹙を買ったが、秘書が次々に逃げ出す状態だったようで、こちらも相当な問題があった。夫婦で逮捕された河合元法相はその言動と高圧的な態度で人望がなく、近年だけで数十人の秘書などが去ったのだそうだ。

 秘書など自分の手足となって働く人を大事にできないようでは国会議員としての務めなど果たせるはずがない。雇ってやっているんだという気持ちだったのかどうかは分からないが、働いてもらえて有り難いという気持ちではなかったようだ。

 ミスがあっても望むよう仕事ができなかったとしても、「遂事(すいじ)は諫めず(してしまったことは諫めようがない)」、「既往(きおう)咎めず(過ぎ去ったことは咎めようがない)」くらいに考えて諭すような対応ができたならまた違った展開が待っていたのかもしれない。人を立て人を用いる。人の上に立つ人なら寛仁(かんじん)大度(たいど)を欠いてはならないだろう。  (2020.7.8)

◇拉致は小さな問題か

 令和2年6月20日の産経抄には驚いた。産経抄子は兵庫県立大の五百旗頭真理事長が天皇陛下の相談役である宮内庁参与になったことについて、宮内庁の人選が解せないと書いた。

 「拉致なんて取り上げるのは日本外交として恥ずかしいよ。あんな小さな問題をね」と、福井県立大の島田洋一教授は本人の口から直接聞いた(平成12~3年頃、知人の結婚式)のだそうだ。拉致という北朝鮮の犯罪を取り上げることがどうして恥ずかしいことなのか。著名であってもまともとは思えない。

 山岡鉄舟は侍従として、近侍の者たちがあっけに取られるほどの啖呵を切って明治天皇を諫めた。鉄舟の諫言は天皇にとって肺腑を抉る話だったらしく、岩倉具視を呼んでことの経緯を話した。岩倉は鉄舟の屋敷を訪れ陛下のお言葉を伝えた。わざわざ岩倉公をお遣わしになったことに鉄舟は恐縮し参内して過日の不敬を詫びた。

 明治天皇の鉄舟への信頼は、この件以来一変したのだそうだが、陛下に対する尊皇心、国家に身命を捧げる覚悟をもって生きた鉄舟だからできたことでもあろう。日本人としての矜持もなく、人権を顧みることもできない人間に陛下の相談役は務まらないだろう。

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 公選法違反(買収)容疑で前法相夫妻が東京地検特捜部に逮捕されたことで、またぞろ安倍晋三首相の任命責任を問う声が出ているが、抄子はこの宮内庁による人選の方が解せない。兵庫県立大の五百旗頭真理事長が天皇陛下の相談役である宮内庁参与に就いた件である。 ▼「拉致なんて取り上げるのは日本外交として恥ずかしいよ。あんな小さな問題をね」。これは平成12~13年頃、福井県立大の島田洋一教授が五百旗頭氏の口から直接聞いたセリフである。知人の結婚披露宴という私的な場での話とはいえ、いかがなものか ▼天皇陛下は皇太子時代から、拉致問題に関して繰り返し「少しでもよい方向に進むことを願う」と述べ、気にかけてこられた。上皇后さまも皇后当時の30年10月、記者団の質問に「平成の時代の終焉と共に急に私どもの脳裏から離れてしまうというものではありません」と文書回答されている ▼天皇陛下は今年4月の靖国神社例大祭に勅使を派遣され、各宮家も玉串料を献進されている。一方、五百旗頭氏は18年9月の小泉(純一郎)内閣メールマガジンで、小泉首相靖国参拝を批判した。「どれほどアジア外交を麻痺させ、(中略)建設的な対外関係を悪化させたことか」 ▼秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまのご誕生前の同年2月の小紙「正論」欄で、女性天皇実現の可能性に言及したこともある。「性別にこだわって廃絶の危険を冒すのではなく、男女いずれであれ、おだやかな敬愛を集め国民とともにある天皇制を望みたい」 ▼福田康夫元首相のブレーンで防衛大学校長を務めた五百旗頭氏は、外交・安全保障の碩学であるのは事実だろう。だとしても、宮内庁天皇陛下の相談役に選んだ意図が分からない。 (2020.7.1)