元農林水産省事務次官が長男を刺殺した事件(令和元年6月1日)について、引きこもりなどに詳しい専門家やコメンテーターが所見をあれこれ述べている。大方が父親は最悪の判断をしたかのように言うが、中学校から始まった暴力に今までどれ程苦しんできたかを思うと、所詮他人事できれい事を言っているようにしか聞こえない。
幼少年期の子育てに至らないことがあったとしても、そのことを44歳の息子の行状の全ての責任にすることはできない。働きもせず、親に暴力を振るう自分を不惑を過ぎても改められなかった責任は息子にある。
普通の人間なら、小学校の運動会の音に「うるせえな、ぶっ殺してやるぞ」とは絶対に言わない。高齢の両親に暴力を振るうこともない。この息子には川崎のような事件(令和元年5月28日、51歳の引きこもり男が小学生など20人を殺傷した)を起こす可能性が十分にあり、それを危惧するのは当然である。
全てを失うことは十分に分かっていたであろう。覚悟をもっての行動である。自分達夫婦への暴力、他人への危害を未然に防ぐための苦渋の決断を責めることなどできない。息子は親に子殺しをさせるほどの親不孝をしたのであり同情できない。自業自得と言われても仕方がないことだろう。 (2019.6.6)