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本来の姿を取り戻す

みんなの心に輝く学校を目指し、中学校長として取り組んだ学校経営や教育課題などについての考えを述べます。

◇「上に居て寛ならず」では

 生徒指導上の困難校として評判の中学校に、校長として異動することになったある校長はその学校を改革するとの強い思いをもって赴任したとのことだったが、数年間の在職中最後まで思うようにはならなかった。

 断片的に入ってくる情報だけでは、どうして改善しないのかを判断することはできないものだが、入ってきた一つの情報だけでその学校がよくなるはずがないと感じたことがあった。それは、校長が職員を叱りつけることが多く怒鳴り声がしばしば聞かれるということだった。

 以前のブログで、管理者を含めた教職員の心構えとして威張ってはならないと述べたが、威張る人は相手が逆らえないことを知って威張るのである。この学校の校長と職員には信頼関係は生まれないし、殺伐とした雰囲気の中では教育の成果など期待できないのである。

 教頭時代に職員から総すかんを食っていたある校長は、教頭には特に威圧的だったらしく、あと1年一緒だったら病気になっていたと語った人もいたくらいで、その他の教頭も相当にストレスを溜め込んだようである。「教頭は、校長を助け、校務を整理し、及び必要に応じて児童生徒の教育をつかさどる。(学校教育法)」とあり、校長の補佐という立場もあるので忍耐を強いられる。

 このような校長の下では気持ちよく働けないだろう。学校から出る書類には校長印が必要なものが多い。校長が不在でなければ、通常、印をいただくために職員は校長室に行くことになるが、嫌な思いをした職員は教頭に印をもらってきてと頼むことになる。自分で行けばと言われても行かないのである。教頭だって行きたくはないだろう。

 孔子は、人の上に立って寛容さがなく、礼儀作法が形だけで恭敬の気持ちがなく、葬式に臨んで悲しみに欠けているなどは、全く見どころがない。ほんとうにしょうがないと述べているが、寛容さは上に立つ者がもたなければなければならない性質だろう。


 子曰く、上(かみ)に居(い)て寛(かん)ならず、礼を為して敬せず、喪に臨んで哀しまずんば、吾何を以ってかこれを観んや「子曰、居上不寛、為禮不敬、臨喪不哀、吾何以観之哉」