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本来の姿を取り戻す

みんなの心に輝く学校を目指し、中学校長として取り組んだ学校経営や教育課題などについての考えを述べます。

◇長崎平和宣言(4)…もういいよと言われる日が来るかも

 長崎平和記念式典における平和宣言、平和の誓いに疑問を感じた人は少なくなかったろう。国民が反発するような内容は盛り込むべきではない。広島を見習うべきだろう。

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 ▽平和宣言の以下の内容には疑問を感じる。

 [日本政府は、核兵器廃絶を訴えながらも、一方では核抑止力に依存する立場をとっています。この矛盾を超える方法として、非核三原則の法制化とともに、核抑止力に頼らない安全保障の枠組みである「北東アジア非核兵器地帯」の創設を検討してください。……]には、正直呆れた。

 中国、ロシア、北朝鮮は、北東アジア地域の核兵器保有国である。少なくもこの3国が同意しなければ、非核兵器地帯の創設などできない。そんな中で、日本だけが非核三原則の法制化をしたらどういうことになるか考えるべきだろう。

 [この流れを断ち切り、不信のサイクルを信頼のサイクルに転換するためにできることのひとつは、粘り強く信頼を生み続けることです。我が国は日本国憲法の平和の理念に基づき、人道支援など、世界に貢献することで信頼を広げようと努力してきました。ふたたび戦争をしないために、平和国家としての道をこれからも歩み続けなければなりません。]にも納得できない。

 人権を蹂躙しても何とも思わないならず者国家には、人道支援などでいくら貢献しても信頼など生まれないだろう。再び戦争をしないためには、戦争に備えるしかない。これが現実だろう。

 [福島での原発事故から5年が経過しました。長崎は、放射能による苦しみを体験したまちとして、福島を応援し続けます。]と述べているが、長崎は福島のために何をしたのだろう。

 福島県民が感謝するような貢献でもしたのだろうか。放射能に汚染された廃棄物の受け入れをしたのだろうか。風評被害を払拭するために福島県産品の消費拡大に協力しているのだろうか。

 ▽平和への誓いは、原爆で亡くなられた方々の御霊を冒涜し、被爆者を更に傷つける結果を招くような内容と感じる。

 [しかし、私たちは絶対悪の核兵器による被害を訴える時にも、日中戦争やアジア太平洋戦争などで日本が引き起こした過去の加害の歴史を忘れてはいません。]歴史認識には、

 ここで述べる必要はないと感じた人も少なくなかったろう。加害者としての側面、被害者としての側面など、想起することは複雑である。

 [わが国は、過去を深く反省し、世界平和の規範たる「日本国憲法」を作りこれを守って来ました。今後さらに「非核三原則を法制化」し、近隣諸国との友好交流を発展させ、「北東アジアの非核兵器地帯」を創設することによりはじめて、平和への未来が開けるでしょう。]には、情けない気持ちになった。

 世界平和の規範とは、どこの誰がそう考えているのだろう。世界中の人達がそう考えているのだろうか。日本国憲法が世界平和の規範なら、そのことを世界に訴え憲法改正を促すべきだろう。

 日本国憲法は、日本のどんな人達が中心になって作ったのだろう。作ったのは日本ではなく、GHQだったのではないのか。

 拉致被害者を帰すこともなく、ミサイルや核実験に邁進し、国民を虫けらのように殺してしまう国家と友好交流ができるとは子どもでも思わないだろう。

 [国会及び政府に対しては、日本国憲法に反する「安全保障関連法制」を廃止し、アメリカの「核の傘」に頼らず、アメリカとロシア及びその他の核保有国に「核兵器の先制不使用宣言」を働きかけるなど、核兵器禁止のために名誉ある地位を確立される事を願っています。]には、

 こんな安全保障では、わが子や孫が侵略され殺されてしまうことになるかもしれない。被爆老人の心配無用である。

 [科学の発展が人類の幸せに貢献せず、資源の独占と貧富の差が拡大する限り、世界の不安定は益々厳しくなるでしょう。]の認識にも納得できない。

 世界の不安定の要因として、差別や偏見、束縛などによって人権が侵害され、あるいは、民族としての尊厳が踏みにじられていることの方がはるかに大きな問題だろう。

 [私たち被爆者は、「武力で平和は守れない」と確信し、核兵器の最後の一発が廃棄されるまで、核物質の生産、加工、実験、不測の事故、廃棄物処理などで生ずる全世界の核被害者や、広島、福島、沖縄の皆さんと強く連帯します。長崎で育つ若い人々とともに「人間による安全保障」の思想を継承し、「核も戦争もない平和な地球を子供たちへ!」という歴史的使命の達成に向かって、決してあきらめず前進することを誓います。]

 武力で平和は守れないのは確かだろう。しかし、武力なくして平和が保てないのも確かだろう。核兵器の最後の一発が廃棄されるまで広島と連帯するのは分かる。福島も被曝ということでの連帯はあるだろう。しかし、沖縄はどういうことなのだろう。沖縄とは不測の事故でということなら、不測の事故は沖縄だけではない。また、「人間による安全保障」の思想とは初耳だが、世界で認知されてるのだろうか。

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 平和宣言も平和への誓いも世界に発信されることを考えたら、国民の代表者との自覚と配慮が必要だろう。国民が反発するような記念式典を続ければ、やがて被爆者などどうでもいいと思う国民が出てくるかもしれないのである。

 

   長 崎 平 和 宣 言

 核兵器は人間を壊す残酷な兵器です。

 1945年8月9日午前 11時2分、米軍機が投下した一発の原子爆弾が、上空でさく裂した瞬間、長崎の街に猛烈な爆風と熱線が襲いかかりました。あとには、黒焦げの亡骸、全身が焼けただれた人、内臓が飛び出した人、無数のガラス片が体に刺さり苦しむ人があふれ、長崎は地獄と化しました。

 原爆から放たれた放射線は人々の体を貫き、そのために引き起こされる病気や障害は、辛うじて生き残った人たちを今も苦しめています。

 核兵器は人間を壊し続ける残酷な兵器なのです。

 今年5月、アメリカの現職大統領として初めて、オバマ大統領が被爆地・広島を訪問しました。大統領は、その行動によって、自分の目と、耳と、心で感じることの大切さを世界に示しました。

 核兵器保有国をはじめとする各国のリーダーの皆さん、そして世界中の皆さん。長崎や広島に来てください。原子雲の下で人間に何が起きたのかを知ってください。事実を知ること、それこそが核兵器のない未来を考えるスタートラインです。

 今年、ジュネーブ国連欧州本部で、核軍縮交渉を前進させる法的な枠組みについて話し合う会議が開かれています。法的な議論を行う場ができたことは、大きな前進です。しかし、まもなく結果がまとめられるこの会議に、核兵器保有国は出席していません。そして、会議の中では、核兵器の抑止力に依存する国々と、核兵器禁止の交渉開始を主張する国々との対立が続いています。このままでは、核兵器廃絶への道筋を示すことができないまま、会議が閉会してしまいます。

 核兵器保有国のリーダーの皆さん、今からでも遅くはありません。この会議に出席し、議論に参加してください。

 国連、各国政府及び国会、NGOを含む市民社会に訴えます。核兵器廃絶に向けて、法的な議論を行う場を決して絶やしてはなりません。今年秋の国連総会で、核兵器のない世界の実現に向けた法的な枠組みに関する協議と交渉の場を設けてください。そして、人類社会の一員として、解決策を見出す努力を続けてください。

 核兵器保有国では、より高性能の核兵器に置き換える計画が進行中です。このままでは核兵器のない世界の実現がさらに遠のいてしまいます。今こそ、人類の未来を壊さないために、持てる限りの「英知」を結集してください。

 日本政府は、核兵器廃絶を訴えながらも、一方では核抑止力に依存する立場をとっています。この矛盾を超える方法として、非核三原則の法制化とともに、核抑止力に頼らない安全保障の枠組みである「北東アジア非核兵器地帯」の創設を検討してください。核兵器の非人道性をよく知る唯一の戦争被爆国として、非核兵器地帯という人類のひとつの「英知」を行動に移すリーダーシップを発揮してください。

 核兵器の歴史は、不信感の歴史です。国同士の不信の中で、より威力のある、より遠くに飛ぶ核兵器が開発されてきました。世界には未だに1万5千発以上もの核兵器が存在し、戦争、事故、テロなどにより、使われる危険が続いています。この流れを断ち切り、不信のサイクルを信頼のサイクルに転換するためにできることのひとつは、粘り強く信頼を生み続けることです。我が国は日本国憲法の平和の理念に基づき、人道支援など、世界に貢献することで信頼を広げようと努力してきました。ふたたび戦争をしないために、平和国家としての道をこれからも歩み続けなければなりません。

 市民社会の一員である私たち一人ひとりにも、できることがあります。国を越えて人と交わることで、言葉や文化、考え方の違いを理解し合い、身近に信頼を生み出すことです。オバマ大統領を温かく迎えた広島市民の姿もそれを表しています。市民社会の行動は、一つひとつは小さく見えても、国同士の信頼関係を築くための、強くかけがえのない礎となります。

 被爆から71年がたち、被爆者の平均年齢は80歳を越えました。世界が「被爆者のいない時代」を迎える日が少しずつ近づいています。戦争、そして戦争が生んだ被爆の体験をどう受け継いでいくかが、今、問われています。

 若い世代の皆さん、あなたたちが当たり前と感じる日常、例えば、お母さんの優しい手、お父さんの温かいまなざし、友だちとの会話、好きな人の笑顔…。そのすべてを奪い去ってしまうのが戦争です。戦争体験、被爆者の体験に、ぜひ一度耳を傾けてみてください。つらい経験を語ることは苦しいことです。それでも語ってくれるのは、未来の人たちを守りたいからだということを知ってください。

 長崎では、被爆者に代わって子どもや孫の世代が体験を語り伝える活動が始まっています。焼け残った城山小学校の校舎などを国の史跡として後世に残す活動も進んでいます。若い世代の皆さん、未来のために、過去に向き合う一歩を踏み出してみませんか。

 福島での原発事故から5年が経過しました。長崎は、放射能による苦しみを体験したまちとして、福島を応援し続けます。

 日本政府には、今なお原爆の後遺症に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、被爆地域の拡大をはじめとする被爆体験者の一日も早い救済を強く求めます。

 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、世界の人々とともに、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くすことをここに宣言します。

   2016年(平成28年)8月9日
          長崎市長 田上 富久

 

   平和への誓い

 幼い頃「神の国日本、ほしがりません勝つまでは」などと教えられて過ごした私は、相次ぐ空襲に逃げまわり、防空壕で息をひそめ、日本の敗戦は近いと思っていました。

 1945年8月9日、午前11時2分、アメリカが投下した一発の原子爆弾は、ここ浦上の上空およそ500メートルで爆裂し、長崎の町は、一瞬にして廃墟となりました。

 原子雲の下は、想像を絶する修羅場となり、日本人だけでなく、強制連行された中国人や動員された朝鮮人、戦時捕虜のアメリカ人や諸国の人々を含むおよそ7万4000人が無差別に殺され、虫や鳥や植物などすべての生き物も死滅しました。

 私は当時9歳、爆心地から6.5キロメートルの地で大木に登り枝落としの最中に、巨大な火の玉に目が眩み、耳をつんざく大音響と猛烈な爆風で吹き飛ばされ気を失いました。

 翌日から、救護活動に参加した母や姉、兄などの体験で、惨劇の大きさを知りました。その母も姉も兄も歯ぐきから血を出し、髪が抜けるなど、長い間の苦しみに耐えながらも、次々に原爆症で亡くなりました。

 広島で歓迎されたオバマ大統領は、「空から死が降ってきた」と叙情的に表現されましたが、広島のウラン型原爆に対して長崎にはプルトニウム型原爆が投下された事から、私には2種類の原爆による実験ではなかったのかとの思いがあります。

 被爆した町は、国際的な支援のもとに復興しましたが、私たち被爆者は71年もの間、毎日が苦悩の中にあり、2世、3世もその憂いを引き継いでいます。政府には「原爆症」や「被爆体験者」の救済について、司法判断に委ねず、政治による解決を望みます。

 しかし、私たちは絶対悪の核兵器による被害を訴える時にも、日中戦争やアジア太平洋戦争などで日本が引き起こした過去の加害の歴史を忘れてはいません。

 わが国は、過去を深く反省し、世界平和の規範たる「日本国憲法」を作りこれを守って来ました。今後さらに「非核三原則を法制化」し、近隣諸国との友好交流を発展させ、「北東アジアの非核兵器地帯」を創設することによりはじめて、平和への未来が開けるでしょう。

 国会及び政府に対しては、日本国憲法に反する「安全保障関連法制」を廃止し、アメリカの「核の傘」に頼らず、アメリカとロシア及びその他の核保有国に「核兵器の先制不使用宣言」を働きかけるなど、核兵器禁止のために名誉ある地位を確立される事を願っています。

 科学の発展が人類の幸せに貢献せず、資源の独占と貧富の差が拡大する限り、世界の不安定は益々厳しくなるでしょう。オバマ大統領が率先して示された「核なき世界実現」への希望は、人類の英知による恒久平和をめざすものであり、「非核の国々による核兵器禁止のための国際的流れ」に共通するものと思います。私たちは、オバマ大統領が「最後の被爆地長崎」を訪問されるよう強く願い、歓迎いたします。

 私たち被爆者は、「武力で平和は守れない」と確信し、核兵器の最後の一発が廃棄されるまで、核物質の生産、加工、実験、不測の事故、廃棄物処理などで生ずる全世界の核被害者や、広島、福島、沖縄の皆さんと強く連帯します。長崎で育つ若い人々とともに「人間による安全保障」の思想を継承し、「核も戦争もない平和な地球を子供たちへ!」という歴史的使命の達成に向かって、決してあきらめず前進することを誓います。

 地球市民とともに核兵器廃絶の実現を!!

 ナガサキ マスト ビー ザ ラスト

   2016年(平成28年)8月9日
   被爆者代表 井原 東洋一(とよかず)