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本来の姿を取り戻す

みんなの心に輝く学校を目指し、中学校長として取り組んだ学校経営や教育課題などについての考えを述べます。

◇こんな学びもある

教育

 人の評価をその人の周囲の人が行えば、大半は可もなく不可もなく、肯定的評価や否定的評価は僅かといったところが普通の人の評価だろう。ほとんどの人にいい評価をされる人は稀だが、その逆も稀だろう。教職員の評価も同じではなかろうか。

 否定的評価をされていてもダメな職員とは限らない。多くはその学校で生かされていなかったことによる評価だろう。定期異動で転入して来た職員は、この人によって学校が壊れるかもしれないとまで言われたが、いつの間にか学校になくてはならない存在になっていた。

 否定的評価を受けている教職員の中で、どうしようもないと感じた人がいたが、同僚や管理職の意見には反抗的で、頷くような姿を見せることがなかった。自分ほど頭のいい人間はいないと広言し、上手くいかないことは自分の力量不足とせずに他人のせいにした。いついかなる時も自分は正しいと考えているようで、やがて、意見を言う人がいなくなった。採用試験では見抜けなかったということだろう。

 管理職でも、登用試験では見抜けなかったのだろうと感じた人がいた。教職員からじっくり話を聞くようなことはなく、威張る、怒鳴る、謙虚な姿勢は見られなかった。したがって、教職員から尊敬されず、感謝もされず、慕われもしなかった。教諭の時の評判は特に悪かったわけではないので、管理職という立場を得たことで、それまで自制していた本来の姿が表れたのかもしれない。管理者ともなれば、残る教職人生もわずかである。最後の最後で軽蔑の評価をされて去っていくなど、何のために生まれてきたのかと感じたのである。

 自分が他人のために役立っていると感じた時、人は生きる喜びや幸せを感じるものである。したがって、我を捨て、他人のために働くという気持ちをもつことが大切である。そのように生きていけば信頼を得るのは簡単で、どうしようもない人間との評価はされなかったかもしれない。

 こういう人を見ていて、この人から学ぶことはないと感じたが、この人がしていることをしなければ、それだけで人々の信頼を勝ち得ることができると感じたのである。過去のブログで「校長の心構え」を掲載したが、その中の多くはこういう人から学んだのである。