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本来の姿を取り戻す

「みんなの心に輝く学校をめざして」取り組んだ学校経営、「生き生きとした学校生活のために」取り組んだ生徒指導で感じた課題の解消を念頭に置いて教育問題などを考えます。

◇人権教育の成果なのか

 学区内の小学校を訪問した折、「児童が互いに〇〇さんと敬称を付けて呼び合うようになった。それは本校の人権教育の成果」と説明されたことがある。男子児童のや低学年のちゃんも、さんで統一され呼捨てはなくなったようである。

 中学校での生徒の呼称は、日常的に男子は、女子はさんであり、入学式や卒業式など特別な時でも変わりはなかった。伝統的な呼称を代えさせたこと、それを人権教育の成果との説明には違和感を覚えた。

 ロナルド・レーガン大統領(故人)中曽根康弘元総理は、互いに「ロン」・「ヤス」と呼び合ったそうだ。プーチン大統領安倍晋三総理も、「ウラジミール」・「シンゾー」と呼び合う関係だそうだが、そう呼び合っても関係が悪化することはないようである。

 アメリカでのホームスティ体験では、ホストファミリーは私を外では姉妹都市交流で訪米したプリンシパルとファミリーネームで紹介した。家に戻るとファーストネームで呼ばれたが悪い気はしなかった。

 スポーツ大会での選手紹介や呼称は、〇〇さんより〇〇選手の方が望ましいと感じることがある。また、政治家のテレビ討論などでは、総理大臣に意見を求める場合であっても、〇〇さんと指名する司会者がいる。〇〇総理はどう思われますか、などと意見を求めるべきで、〇〇さんでは総理大臣という立場に敬意を表したことにならない。

 時や場所柄をわきまえ他への配慮を怠ってはならないのだが、敬称で人権を量り語るものではない。いい年なのに、ちゃん付けで呼んだりする間柄も大切にされなければならない。  (2015.4.6)