同僚として勤務したことがある教師に近況を尋ねると、「今の学校は忙しくて物凄く大変です。食べてもストレスで何度も吐いてしまった」とのことで気の毒に思ったが、数年後その学校に異動になり、あまりの忙しさに驚いたのである。
思っていた通りで、荒れているとまでは言えないが、相当に雰囲気の悪い学校だった。とても疲れるし仕事も進まなかった。そこで、校舎内外に放置されていた壊れた器具や不要品などを片づけ、みんなが不満に感じ私も納得できなかったものはできるだけ改善し、また、長年続けてきた学校独自の活動であっても忙しさばかりが募るようなものは止めることにした。
長年苦労して続けてきたことには愛着があるもので、「私たちは今まで続けてきたのです」と抵抗もされたが、止めてみてどうしても必要だったら復活させればいいではないかと説得したのだった。しかし、その後復活させようとの声は誰からも上がらなかった。
忙しさが少しずつ改善していくと、働き易くなり仕事もはかどるようになった。学校は年を追うごとに良くなり、保護者や地域住民、来校者から度々誉めていただけるようになった。そして、市内で一番いい学校とまで言われるようになった。
長野県の篠ノ井旭高校の教育実践で、読売教育賞を受賞した若林繁太先生(2007年没、「教育は死なず」、「教育よ、よみがえれ」など、著書多数)のお宅に伺った(平成13年3月)ことがある。そこで、篠ノ井旭高校の先生方の驚異的な実践を引き出した校長としての指導をお聞きすると、先生方が活動し易くなるように環境整備をしたが、それだけだったと話された。「目の前の障害物をそのままに、後ろから尻を叩くようなことをしなかった。教師は本来まじめで、活動し易い環境にすれば黙っていても行動する。あの実践は正直私の想像をはるかに超えていた」とのことだった。
いい学校は他校がやっていないような真新しい取り組み、あるいは数多くの教育実践によってできるのではない。障害物を取り除き、本来教師がやろうとしていること、やりたいことをやれるようにすることが最も大事であり、難しいことではない。 (2015.3.23)