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本来の姿を取り戻す

「みんなの心に輝く学校をめざして」取り組んだ学校経営、「生き生きとした学校生活のために」取り組んだ生徒指導で感じた課題の解消を念頭に置いて教育問題などを考えます。

◇長崎平和宣言(2)…あんな式典なら止めた方がいい

 今年も以下のような内容のメールを長崎市に送った。

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 [広島、長崎の原爆以降、戦争で核兵器が使われなかったのは、被爆者の存在とその声があったからです]と述べていますが、本当にそうでしょうか。朝鮮戦争で使われなかったのは被爆者の存在とその声ではなく、あまりにも悲惨で通常使用ができない兵器、使用はやがて報復を招くなどの認識がアメリカにあったからではありませんか。その後もソ連や中国が使用しなかったのは、同様な認識と核戦争で勝利することができないからでしょう。

 [日本政府に………非核三原則の法制化とともに、「北東アジア非核兵器地帯構想」の検討を始めるよう提言します]には、どうかしているとしか思えません。北朝鮮核兵器保有国です。北東アジア非核兵器地帯構想で保有を断念させることができるとお思いでしょうか。

 [長崎は「ノーモア・ナガサキ」とともに、「ノーモア・ウォー」と叫び続けてきました。日本国憲法に込められた「戦争をしない」という誓いは、………被爆地長崎の原点でもある]とのことですが、国の平和が憲法によって脅かされることを危惧するから憲法改正に多くの国民が賛成しているのです。集団的自衛権の行使容認の閣議決定は戦争抑止のためです。丸腰では、「ノーモア・ナガサキ」、「ノーモア・ウォー」と叫んでも平和は保てないでしょう。

 [日本政府にはこの不安と懸念の声に、真摯に向き合い、耳を傾けることを強く求めます]と、集団的自衛権の行使容認について言及していますが、自分たちの言う通りにならなければ耳を傾けていないと、いつまで言い続けるつもりでしょうか。市長こそ政府の言うことに耳を傾けるべきです。

 [長崎は今後とも福島の一日も早い復興を願い、さまざまな支援を続けていきます]ということですが、がれき処理放射性廃棄物の中間貯蔵など、どんな支援を続けるのでしょう。口先だけのことなら広島のように口にしない方がいいでしょう。

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※平和宣言はかなり改善されましたが、平和の誓いは最悪です。あのような内容なら止めさせるべきでした。

 [今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です。日本が戦争できるようになり、武力で守ろうというのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではないですか。日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください。]には呆れました。

 式典に招いた安倍総理を前にして、総理を罵るように批判して恥ずかしくないのでしょうか。原爆を落としたのは総理ではありません。被爆者はそんなに偉いのですか、何を言っても許されるのでしょうか。式典は世界に発信されるので、これでは世界の笑いものでしょう。青少年への悪影響(あのように総理を批判してもかまわない)を考えると、青少年には絶対に見せたくない。

 このような平和の誓いは非常識なだけでなく、被爆者を傷つけることにならないのでしょうか。被爆者代表として述べることは、被爆者全員の代弁なのです。もう「被爆者なんかどうでもいい」という気持ちになった人がいたかもしれません。

 [このような状況の中で、原発再稼働等を行っていいのでしょうか。使用済み核燃料の処分法もまだ未知数です。早急に廃炉を含め検討すべきです]と述べていますが、原発を再稼働させなければこの国がもたないと考えている人にとっては、無責任で逸脱も甚だしいと感じたことでしょう。

 被爆者はサバイバーとして、残された時間を命がけで、語り継ごうとしています。]とのことですが、こういう人の話だったら子や孫に聞かせたくありません。また、[世界中の皆さん、再び愚かな行為を繰り返さないために、被爆者の心に寄り添い、……]と述べていますが、被爆者に寄り添いたくないという気持ちを抱かせた平和の誓いだったように思います。

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 また、長崎原爆遺族会の正林克記会長は、安倍総理に対し、長崎の誓い、決意は去年と同じだったのでしょうか。がっかりしたというか、被爆者みんながびっくりした状態でいる」と述べたとのことですが、とんでもないことを言ったものです。

 挨拶にはその人特有の形があります。卒業式や入学式の式辞、市長の挨拶など、同じ文言が随分使われます。同じ内容があって当然でしょう。城臺美弥子被爆者代表の平和の誓いも併せ考えたら、やがて多くの国民が長崎に無関心になってしまうかもしれません。

 

   平和への誓い憲法を踏みにじるな』

 1945年6月半ばになると、一日に何度も警戒警報や空襲警報のサイレンが鳴り始め、当時6歳だった私は、防空頭巾がそばにないと安心して眠ることができなくなっていました。8月9日の朝、ようやく眼が覚めたころ、あのサイレンが鳴りました。

 「空襲警報よ!」「早う山までいかんば!」緊迫した祖母の声で、立山町防空壕(ごう)へ登りました。爆心地から2・4㌔地点、金毘羅山中腹にある現在の長崎中学校校舎の真裏でした。しかし敵機は来ず、「空襲警報解除!」の声で多くの市民や子どもたちは「今のうちー」と防空壕を飛び出しました。

 そのころ、原爆搭載機B29が、長崎上空へ深く侵入していたのです。私も、山の防空壕からちょうど家に戻った時でした。お隣の同級生トミちゃんが「みやちゃーん、あそぼー」と外から呼びました。その瞬間キラッと光りました。その後、何が起こったのか、自分がどうなったのか、何も覚えておりません。しばらく経って、私は家の床下から助け出されました。外から私を呼んでいたトミちゃんはそのとき何も怪我もしていなかったのに、お母さんになってから、突然亡くなりました。

 たった一発の爆弾で、人間が人間でなくなり、たとえその時を生き延びたとしても、突然に現れる原爆症で多くの被爆者が命を落としていきました。私自身には何もなかったのですが、被爆三世である幼い孫娘を亡くしました。わたしが被爆者でなかったら、こんなことにならなかったのではないかと、悲しみ、苦しみました。原爆がもたらした目に見えない放射線の恐ろしさは人間の力ではどうすることもできません。今強く思うことは、この恐ろしい非人道的な核兵器を世界から一刻も早くなくすことです。

 そのためには、核兵器禁止条約の早期実現が必要です。被爆国である日本は、世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務があります。しかし、現在の日本政府は、その役割を果たしているのでしょうか。今、進められている集団的自衛権の行使容認は日本国憲法を踏みにじった暴挙です。日本が、戦争ができる国になり、日本の平和を武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではありませんか。日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。平和の保障をしてください。被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください。

 福島には、原発事故の放射能汚染でいまだ故郷に戻れず、仮設住宅暮らしや、よそへ避難を余儀なくされている方々が大勢おられます。小児甲状腺がんの宣告を受けておびえ苦しんでいる親子もいます。このような状況の中で、原発再稼働、原発輸出、行っていいのでしょうか。使用済み核燃料の処分法もまだ未解決です。早急に廃炉を検討してください。

 被爆者はサバイバーとして、残された時間を命がけで、語り継ごうとしています。小学一年生も保育園生さえも私たちの言葉をじっと聴いてくれます。この子どもたちを戦場に送ったり、戦禍に巻き込ませてはならないという、想いいっぱいで語っています。

 長崎市民の皆さん、いいえ、世界中の皆さん、再び愚かな行為を繰り返さないために、被爆者の心に寄り添い、被爆の実相を語り継いでください。日本の真の平和を求めて共に歩きましょう。私も被爆者の一人として、力の続くかぎり被爆体験を伝え遺(のこ)していく決意を皆様にお伝えし、私の平和への誓いといたします。

  平成26年8月9日 被爆者代表 城臺 美彌子      (2014.8.15)