20年程前、校則問題が次々に報じられたことがあった。人権に対する配慮に欠けたり、守ることにどんな意味があるのか疑問に思うような内容ばかりで、改善の必要性を強く感じたのだった。
全国の学校は報道を契機に校則(心得)を見直したように思う。当時在職した学校でも、改善を怠れば信頼を失うことにもなりかねない内容があった。男子の頭髪規定や文言など改正したのである。
校則問題の報道では、校則は生徒をしばり個性を侵害するもの、管理教育を進める手段といった意見も紹介され、校則に対する悪い印象をもたせてしまった感もある。女子高生の校門圧死のような悲しい事件は悪い印象をもたせるのに十分な出来事だった。
校則(心得)は全ての生徒が気持ちよく、生き生きと生活できるようにするための配慮事項なのである。生徒をしばったりするものではない。管理されていると感じている生徒はほとんどいないのではなかろうか。明るく屈託のない表情、学校が楽しいと連れ立って遊ぶ生徒の姿はそう感じさせるのに十分である。
日本国民はたくさんの法律に守られ、同時に規制も受ける。時に矛盾を感じることはあっても、息苦しく感じたりしないだろう。大多数の生徒にとって、校則(心得)は大人の法律と同じようなものなのではないかと思う。
人は人として育てられて人になる。学校は生徒にとって楽しく、居心地のいい所でなければならないが、遊園地ではない。昔から学校は修養の場であり今後もそれは変わらないだろう。 (2014.1.7)