道徳の教科化は評定や免許の関係で見送りとなったが、教科化は無理でも、教科書(副読本)を国として作成することは可能である。全国公募で材料を集めたらかなり立派な教科書ができるのではないかと思う。
道徳の時間は各種教育活動で行われた道徳教育を補充・深化・統合する時間とされているが、机上の空論のように感じている。教科や総合的な学習の時間、特別活動、部活動などでどんな道徳教育が行われたか、教師は把握できないはずである。なのにどうして補充・深化・統合する授業ができるのだろう。そして、生徒はどのようにして深化・統合するのだろうか。
道徳の授業が道徳的価値の追求に流れすぎているように思う。道徳的価値を学習するのが道徳教育と考えれば当然なのかもしれないが、人間愛、思いやり、向上心、公徳心、友情、愛国心、平和、勤労、自然愛護、感謝、生命尊重、謙虚など、道徳的価値を確認して何になるのだろう。道徳的な価値の追求は美味しい料理に使われた食材や調味料を解明するようなものである。適度に食材や調味料を使い、上手に調理しなければ美味しい料理はできない。人の生き方だって同じだろう。 (2012.12.16)