外国で生活した人なら現地で日本のことを質問され、困った経験が少なからずあるのだろう。痛切に感じることは、日本人でありながら日本のことを知らな過ぎたということだそうだ。いくら語学に堪能でも、日本のことを知らない日本人には外国人も失望し魅力も感じないだろう。まして自国への愛や誇りのない人間など、尊敬もされないだろう。親交を深めることなどできないと思う。
足利で育った人間が足利のことを知らず愛着もないなら、外国人だけでなく日本人にも好感をもたれないだろう。論語の素読が足利学校で行われるようになった今では、「足利学校に祀られている人は誰か」の問いに、孔子と正しく答えられるだろうが、素読が行われていなかった頃、正しく答えられた小学6年生が3割、中学3年生が2割との調査もあった。過半数が足利尊氏と答え、中には聖徳太子やキリストといった答もあったとのことである。国際化の時代、国際感覚を磨く必要性が叫ばれる昨今なればこそ足元をしっかり見つめたいものである。論語を通じて足利学校を郷土の誇りに思うような人間が育まれていくことを期待している。
足利在住の二人の信濃育ちの方(国際ソロプチミスト足利会員)と懇談の機会があった。信濃の歌(「信濃の国」)を絶賛し、今でも歌えると懐かしげに話していた。上三川出身の二人の職員(前任校)は、今でも上三川音頭をある程度できると話した。郷土連帯、郷土愛を育むという観点から、足利市歌についても今後は教えていきたい。やがて足利を離れて暮らす卒業生もいるだろう。郷土を誇りに思い郷愁を覚えるようであってほしいものだ。 (2012.9.30)