不登校の原因はそれぞれである。したがって、対応もそれぞれであり、不登校への対応に教科書はないと言われる。青竹で子ども打ちぬくような父親がいる家庭では不登校はない(不登校はなくても別の問題が起こる)かもしれない。不登校の対応は一様でないが、過去の経験が役に立たないということではない。
教育相談で、教育相談員と保護者との面談に立ち会っていると、何人もの相談員が保護者に同じような話をしていた。私も何人もの保護者と面談したが、同じようなことを話し(資料①)ていた。資料②は取り敢えず留意してほしいと記したことである。
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現職教育資料①
◆不登校は必ず直る
・不登校は必ず直り、立派に成人するから安心していい。ほとんどが高校進学も果たしている。心配いらない。
・不登校を直すのは、両親でもない、学校でもない、本人自身だ。
・不登校は、新しい自分づくりを始めたと理解すべきです。
・この不登校が息子さんをたくましく成長させるでしょう。
◆親の安定、子への対応など
・不登校以外は問題のない子どもではないか。だから親は元気を出す。夫婦が仲良く人生を楽しむような生き方は子どもの心を安定させる。
・顔を見る度に何か言いたげな顔をしていたら、心を閉ざしてしまう。子どものことばかり考えないで自分たちのことも考える。親自身の人生を豊かにするよう心がけることが必要です。
・子どもが不登校を起こすことによって、夫婦が協力しなくてはならないので、仲も良くなる。子どもから学んだ子育ての知恵は孫の子育てに役立つし、子どもにとっては一人で(周囲の人たちとの関係を築きながら)生きていく力がつく。だから不登校は喜ぶべきことと言われるのです。
・家でも学校でもいい子、問題がないことが問題です。
・本人に自分のことを考える時間を与えることだ。そのためには両親の心の安定も大切だ。不登校の意味が理解できれば心は安定する。
・父親は子どもとの会話がなくても親としての情愛を伝える努力をする。例えば、出勤、帰宅の時には、応答がなくても声をかける。
・子供が菓子を作ってくれたり手紙をくれた時には、感謝の気持ちを何らかの形で伝えるとよい。
・自分でやるべきことはできるだけ自分でやらせるようにする。世話をしすぎないこと。一緒に食事を作ったり片付けをしたり、洗濯物をたたんだり、少しずつやらせた方がよい。
・不登校の理由を探すのは止めた方がよい。理由は本人にも分からないことがある。聞けば聞くほど追い詰めることもある。
・一人で生きていける力をつけることが大切。今は学習成績を心配する時ではない。
・朝、体の変調を訴えるのは仮病ではない。行きたくても行けない気持ちが身体症状化したのです。心と体は一体としたものです。
・身体症状が出た時には無理強いしない。直ってから登校するようにと言った方がよい。
・カウンセリングは本人よりも両親が受けた方がよい。
・今日のような話し合いは、今回限りでなく何回ももちましょう。家庭が何をし学校が何をするかを打ち合わせして対応しましょう。
・今日学校へ来たことを子どもは知っているはず。したがって、帰宅したら特に明るく振る舞ってほしい。親が学校へ行くのを子どもがいやがるようになると、親も学校から遠のく。
◆生きる力
・周囲の者が障害物を取り払ってばかりいると、生きる力はつかない。本人の力で克服できるようにする。自分のことは自分でやらせる。
・人が生きていくためには、生きていくための力をつけなければならない。即ち、生きる力がついていないと生きていけない。
・学校での出来事は不登校の誘因だったと思う。真因は他にある。
・娘さんが不登校になったのは、父親のせいではありません。父親の転勤で家族3人が足利に来ましたが、茨城に戻っても娘さんの不登校は直りません。なぜなら、生きる力がついてないからです。
・長期にわたる添い寝は自立を遅らせることになる。もう中学生なのだから、添い寝は止めましょう。また、周囲の大人が本来自分でやらなければならないことをやってしまうと、これまた自立を遅らせることになる。
◆登校刺激
・不登校は正常な反応だ。自立のための時間をくださいと言っているようなものだ。したがって、自分のことを十分に考えられるように時間を与えてやることが大切。登校刺激を加えないのはそのためです。
・登校刺激を加えないということは、日常の生活の指導まで止めなさいということではない。何もかも言わないのはだめ。しつけはした方がよい。生命に関わることだってあるのですから。
・登校刺激を加えてはいけない時に登校刺激を加えると、その刺激に闘いを挑み、本来やらなくてはいけないことである自分自身に目を向け、自分をどうするかを考えなくなってしまう。回復を遅らせることになる。
・怠学による不登校は、登校刺激を加えないと益々だめになる。遅刻しても登校させる。
現職教育資料②
◆担任の責任ではない
不登校生徒が少ないことを、教育活動(学級経営)の成果と捉えるような人がいる。こういう見方は学級担任を追い詰める。不登校のすべてを学校の教育活動で防げるものではない。担任の力量の問題にしてしまうと、気負いが出たり抱え込んだり、一人で悩むことになってしまい、適切な対応が取れなくなってしまう。荒れた学校、ひどい担任のために不登校になることもあるが、通常担任の責任ではない。
◆批判には泰然と応じる
不登校の原因を突き止めようとしてもはっきりしない。そこで、親は無理に子どもから聞き出した些細な問題を取り上げ、そこに全ての責任を求め担任や学級の生徒、部活に矛先を向けることがある。
保護者の望むままに対処すると、子どもの世界を破壊し、益々登校しづらい状況を作り出してしまうこともある。だから、保護者の批判には、時には親子ともに病んでいると考え泰然と応じることが大切である。
◆不安を取り除き励ます
保護者は相当に悩みや不安を抱えている。したがって、不登校は必ず直るし進級も卒業も進学だってできることを知らせ安心させる。そして、今までの経過や様子、どう関わってきたか、などをじっくり聞いて、どういう方針でどう対応していくかを考えることが大切である。
◆登校刺激を加えないことの意味
登校刺激を加えてみて、どうしてもダメだったら、以後は加えない方がよい。加えると、暴れ出して家庭がめちゃめちゃになってしまうこともあるし、本人を追い詰めてしまうことにもなる。刺激を加えないのは、自分をじっくり考えさせ自立を促すためである。加えると、その刺激に対して闘いを挑み、自分を考えなくなってしまう。
◆学校嫌いではない
昔、不登校の報道がされる時には、「文部省がまとめた学校基本調査によると、学校嫌いを理由とする不登校は、全国で…云々」といった形で行われた。長期欠席者を、「病気、経済的理由、学校嫌い、その他」として調べていた。不登校を学校嫌いとしてまとめるのは、あまりにも乱暴だった。義務教育は当然の義務、好き嫌いで論じるものではない。学校が嫌いで欠席する子どもはまともな子どもではないとの考えを醸成するような文言で、不登校生徒や保護者を一層苦しめるものだった。
◆本人の意思を尊重
1時間の約束で登校したが、もっと長く居られそうなので、1日居させたらどうなるだろうか。子どもにとってはだまされたと感じるもので、次から来なくなるかもしれない。学校に来られたから、あるいは、長く居られたから不登校が改善するものでもないし改善しているとは限らない。
◆熱心さが逆効果に
教師は本来まじめである。一生懸命にやることが正しく成果も上がることなのかもしれないが、不登校に関してはそうではない。毎日のように家庭訪問をしてプリントなどを渡したら、もう来ないでほしいと思うかもしれない。セールスに毎日来られたらどうだろうか。学校で教わってもいない問題などできるはずもない。できない自分に苛立ち、益々自信を失っていく。熱心さは自己満足でしかないこともある。
◆生徒よりも保護者
家庭訪問で生徒に会えるかどうかはさほど重要ではない。生徒を指導して何とかしようと考えるのが一般的だが、不登校に関して(不登校にもよるが)は保護者との面談が重要である。面談を通してどうすべきかを考えた方が確かだし近道である。
◆未然に防ぐことが大切
不登校の兆候は小学生時代にあった場合がほとんどである。市内の生徒指導主事の調査では、当時、約8割になっていた。
中学生にもなると、親に暴力を振るったりするため取れる対応が限られてくる。したがって、早い段階で家族や子育てのあり方を見直していくことが大切である。登校するようになっても問題が解決されたとは限らない。
未然に防止するためには、教師だけでなく世の中の人が不登校の意味を理解している状況がなければならない。 (2011.11.7)