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本来の姿を取り戻す

「みんなの心に輝く学校をめざして」取り組んだ学校経営、「生き生きとした学校生活のために」取り組んだ生徒指導で感じた課題の解消を念頭に置いて教育問題などを考えます。

◇その場の空気に負けてはならない

 山本七平(「日本人とユダヤ人」他、著書多数、故人)は、自らの著書「空気の研究」の中で、日本の社会ではあらゆる議論が最後にはその場の「空気」によって決定されることが多い。「空気」がその場のすべてを統制し各人の口を封じてしまう。それは戦前も戦後も変りはない。したがって、日本の社会に一番必要なのは「水を差す」行為であると述べている。

 三千もの将兵が乗り組んだ戦艦大和は戦闘機の護衛なしで沖縄に向けて出撃し、途中米機動部隊の攻撃によって沈められた。戦艦大和の出撃はサイパン陥落時にも検討されたが、無傷(機関、水圧、電力など)で到達できなければ主砲の射撃ができないなどの理由で取り止めになったのだそうだ。しかし沖縄では、「敵機動部隊が跳梁(ちょうりょう=わがもの顔にのさばる)する外海への突入は作戦にならない、それは明白な事実である」との主張もサイパン時にはなかった「空気」によって退けられ、海も船も空も知り尽くし、尚かつ米軍の実力を熟知している海軍軍人が素人でもやらない無謀な決断をしてしまったとのことである。

 戦後この作戦を追求する声に、「当時はああせざるを得なかった」と根拠は専らあの時の「空気」だけだった。太平洋戦争も実は「空気」で決まり始まった。したがって、「水を差す」行為は重要で、戦争の前に、「そう言ったって石油がないじゃないか」と新聞が一言でも書けば、「空気」も瞬時に崩れたかもしれないとも述べている。

 戦後の日本には、愛国心が戦争を引き起こしたかのような認識をしている人もいるようだが、愛国心を戦争に向けさせ利用したのであって愛国心に責任はない。意見を自由に述べられる環境と、その場の「空気」を吹き払う勇気と信念が人々に必要だったのだろう。当然のことながら「空気」にも責任がないのは明らかだ。

 各種の研究会や会議で、その場の「空気」に発言できなかったこともあるのではないかと思う。私達はこういった「空気」の呪縛を打ち破れるようにならなければならないし、また、そのような人間を育てていくことが大切である。前の大戦のような破滅への道を歩まぬためにも、健全な社会の建設のためにも。  (2011.10.10)