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本来の姿を取り戻す

「みんなの心に輝く学校をめざして」取り組んだ学校経営、「生き生きとした学校生活のために」取り組んだ生徒指導で感じた課題の解消を念頭に置いて教育問題などを考えます。

◇平均2000万円は意味がない

 95歳まで生きるには夫婦で2000万円の蓄えが必要との報告書(金融庁金融審議会)をめぐって野党はあたかも年金制度そのものが破綻したかのように政府を追及しているが、正直くだらないと感じる。年金で老後を賄えるような夫婦もいるかもしれないが、多くは年金のみでは無理と承知しているし、財形年金貯蓄や個人年金保険に加入するなど、対策を講じている人は少なくないだろう。

 国民年金は65歳支給となり、共済年金支給開始年齢も段階的に引き上げられ、令和7年度退職者からは65歳支給となる。60歳で教職を退いた後に働かなければ5年間収入がないので、少なくとも数年間は何らかの仕事に就いて働かなければと考えているだろう。

    麻生財務大臣はこの報告書を受け取らないとしているが、無くても何ら不都合はないように思う。老後の生活は人それぞれで一概に言えることではない。

 2000万円は平均ということだが、平均を国民に知らせて何の意味があるのだろう。象が2匹、ネズミが8匹、象とネズミは平均して何匹か知ったところで何にもならないのと同じだろう。  (2019.6.21)

◇父親を非難する気にはなれない

 元農林水産省事務次官が長男を刺殺した事件(令和元年6月1日)について、引きこもりなどに詳しい専門家やコメンテーターが所見をあれこれ述べている。大方が父親は最悪の判断をしたかのように言うが、中学校から始まった暴力に今までどれ程苦しんできたかを思うと、所詮他人事できれい事を言っているようにしか聞こえない。

 幼少年期の子育てに至らないことがあったとしても、そのことを44歳の息子の行状の全ての責任にすることはできない。働きもせず、親に暴力を振るう自分を不惑を過ぎても改められなかった責任は息子にある。

 普通の人間なら、小学校の運動会の音に「うるせえな、ぶっ殺してやるぞ」とは絶対に言わない。高齢の両親に暴力を振るうこともない。この息子には川崎のような事件(令和元年5月28日、51歳の引きこもり男が小学生など20人を殺傷した)を起こす可能性が十分にあり、それを危惧するのは当然である。

 全てを失うことは十分に分かっていたであろう。覚悟をもっての行動である。自分達夫婦への暴力、他人への危害を未然に防ぐための苦渋の決断を責めることなどできない。息子は親に子殺しをさせるほどの親不孝をしたのであり同情できない。自業自得と言われても仕方がないことだろう。  (2019.6.6)

◇校長ということで解決がつくなら簡単だ

 学校にかかってきた保護者からの電話を受けた職員から、保護者に電話をしてくださいとの電話がかかってきた。内容は苦情のようだったが詳細は聞いてないらしく電話をしてもらえば分かる(「してもらわないと私が困るんです」と言うのには、では校長が困っても構わないのかなと問いたい気持ちになった)というものだった。

 他校でのことだが、保護者からの電話を校長に繋いだために、その後は校長が対応することになってしまった。どういうやり取りがされていたのか詳細が掴めなかったので職員は電話を代わることもできなかった。評判が非常に悪い保護者だったこともあってか校長との関係はこじれにこじれ解決がつかなかった。そんな顛末を知っていたので電話をかけるわけにもいかなかった。そこで、

 転勤したばかりで保護者はもちろん生徒の名前も顔も分からない状況で電話をかけても埒が明かない。担任か学年主任に電話してもらうよう話して電話を切った。

 校長を出せなどとかなり威圧的な電話や訪問者には、どういう人かが分からない状況では電話に出ないし会わなかったが、それによって悪い結果を招いたことはなかった。

 しばしば苦情を言ってくる保護者が職員室で教育委員会に行くと息巻いているのですが、どうしますかと職員から報告があり、「どうぞ教育委員会に行ってください」と帰ってもらったことがあった。

 保護者は市教委でこの対応に怒りを爆発させたらしく、市教委から面談を要請されたが断った。後日保護者が市教委に出向いたらしく市教委から再び電話があった。どうしても会ってやってほしいと言うので、それならばと条件を出した。

 学校は組織で動いているので校長と話して手っ取り早く決着をつけようとしない。部活動に不満があるようだが要求するだけの話し合いにしない。校長と真摯に話し合うということでなら会ってもいいと伝えてもらうと全部了解ということだった。

 じっくり話し合ってみると、両親とも十分に納得したらしく、爽やかな表情を浮かべ丁寧な謝意を述べて帰った。モンスターペアレントが話題に上ることも多いが、私には特に困った経験がない。意思疎通がはかれればトラブルにならないことも多いのではないかと思う。 (2019.6.3)

◇校長の率先垂範は大事なことだが

 某中学校の校長(故人)は、非常に優秀な教師として尊敬されていた方だったが、校長としてそれまでの評判を台無しにするほどの大失態を演じてしまった。

 赴任後早々に問題生徒の家庭を率先して訪問をしていることを称える方もいたが、担任や学年主任がやるべきことを校長にされたのでは担当者の立つ瀬もなくなる。校長の生徒指導は大失敗に終わった。

 過去のブログ「給食の未納問題は難しい」で、給食費の徴収のために校長が家庭訪問をして回ったが徴収は思うようにできなかった。学年主任や担任がその後いくら督促しても徴収は難しく、その小学校の未納額は膨大な額になってしまったが、中学校では未納はなかったのである。

 校長の率先垂範は大事なことだが、後ろに控え失敗があっても責任は校長にあるとの覚悟をもって職務に当たり、教職員が信念をもって仕事に取り組めるような学校にすることの方がはるかに大事である。 (2019.5.21)

◇こんな報道には傷つく人もいるだろう

 東京杉並区のアパートで保育士さんが殺害された事件(平成30年3月26日)を、28日のTBS「Nスタ」は「照井さんはなぜ殺されなければならなかったのか」とのナレーションを入れて概要を報じた。

 犯人はまだ逮捕されていない時点での報道であり、なぜ殺されたかなど全く分からないはずなので、「なぜ殺されなければならなかったのか」はあまりにも不適切である。被害者に殺される理由があるなどとは微塵も考えてなかったとしても、被害者には何らかの落ち度があったとの予断をもたせることにもなりかねない。

 報じ方によっては遺族や関係者を傷つけてしまうことになる。殺されなければならない人なんて死刑囚以外にはない。

 滋賀県大津市で車2台が衝突し、1台が弾みで信号待ちをしていた保育園児(13人)と保育士(3人)の列に突っ込み、保育園児2人が亡くなる事故(令和元年5月8日)が発生した。

 Nスタは「この事故はなぜ起きたのか」ではなく、「園児たちはなぜこのような事故に遭わなくてはならなかったのか」とのナレーションを入れて事故を報じた。

 ナレーターは園児たちに何の落ち度もなかったことを強調したかったのかもしれないが、2人の命が失われ、1人の園児は意識不明の重体、13人の園児保育士が重軽傷を負った事故は遭わなくてはならなかったことではない。違和感を感じた人もいただろう。

 この度の事故で犠牲になった保護者や家族の気持ちを思うとかける言葉すら見当たらない。あまりの痛ましさに涙するばかりだろう。悲しんでいる人たちの気持ちを考えて報道すべきである。  (2019.5.10)

◇ブラックでは悲し過ぎる

 部活動指導や生徒指導、保護者への対応、校務分掌などのために大幅な超過勤務を強いられ、身も心も磨り減らす教員の実態が明らかにされている。聖職と言われた教職も今ではブラックと言われるようになってしまった。

 教育現場の多忙感は初任の頃から感じてはいたが、先輩の「我々教師には前にも後ろにも子どもがいる」ことを忘れてはならないとの言葉に、これは仕方がないことと長年受け入れてきた。

 しかし、このままにできないとの思いも高まり、自分のできることで教職員の負担軽減を図っていくようにしたのは、今から30年ほど前の生徒指導主事になってからである。教職員の精神疾患による休職者数が全国で5千名を越えたと報じられた頃には、現状を深刻に受け止めていた。

 生徒指導主事でも教務主任でも負担軽減はできるが、管理職でなければ思い切った対策が取れない。管理職が決意をもって取り組めばかなりの改善ができる。4月から5月にほとんどの学校が実施している家庭訪問があるが、それを止めることにした学校がある。管理職の勇断は称賛に値する。

 教育は国家百年の大計とも言われるが、過労死レベルとまで報じられた状態を放置したら、教員志望者が激減するだけでなく、国民の負託にこたえることもできなくなるだろう。  (2019.4.15)

◇令和の御代を迎える清々しい気分は日本人ならではのものかも

 菅官房長官によって発表(平成30年4月1日)された新元号は瞬く間に国民の知るところとなり、そして、万葉集からの出典などが明らかにされると、多くの国民に好感をもって受け入れられる状況になった。

 新元号に対する人々の反応が映像で報じられるが、新天皇の即位と令和の御代に気持ちを高ぶらせる様子が伝わってくる。あの高揚感は日本人ならではのものと感じる。

「違和感がある。令の字の意味について国民に納得してもらえるよう説明する努力をしなければならない」と語った国会議員(石破元幹事長)がいたが、令を命令の令として対話を否定するような印象をもっているのだろう。

 令嬢とか令息、令夫人、そして、万葉集から引用された令月との官房長官の説明などもあり、令の字を使ったことに納得できない人などほとんどいないだろう。命令の令なら、令和は「和を令す」ということにもなり対話を否定するものではない。

 とても素晴らしい元号で美しいと感じているが、新天皇の御代が人々の心に輝く時代となるよう僅かでも貢献できたら幸せである。  (2019.4.4)