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本来の姿を取り戻す

「みんなの心に輝く学校をめざして」取り組んだ学校経営、「生き生きとした学校生活のために」取り組んだ生徒指導で感じた課題の解消を念頭に置いて教育問題などを考えます。

◇あの時を明らかに…それが遺族の願いだろう

 平成29年4月26日、石巻市立大川小学校の児童23人の遺族が市と県に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が仙台高裁であった。裁判長は震災前に津波の危険性を予見できたとし、学校は危機管理マニュアルの改訂を怠り市側も是正しなかったとして事前防災が不十分だったと過失を認め、市と県に1審判決の賠償額を約1千万円上積みし、約14億3千6百万円の賠償を命じた。石巻市はこの判決を不服として最高裁へ上告する方針とのことである。

 サイレンが鳴り、広報車が高台への避難を呼びかけるなど、大津波警報が伝えられる中にあって、校庭に集められた児童らは5分もあれば避難できる裏山には行かず、30分近くも校庭に待機させられたのである。裏山に逃げた児童は連れ戻され、「津波が来るから山に逃げよう」、「ここにいたら死ぬ」などと泣きながら教師に訴える児童の姿もあったことを知り憤りを覚えた。

 勤務校足利市立西中学校)で体験したあの大きな長い揺れにはただごとでは済まないだろうと思ったが、被災地はもっとすごかったはずである。職員の息子さん(大学生)はその時海辺にいたが、活動を中止してすぐに避難したので被害に遭わなかった。キャプテンの判断に職員は心から感謝していた。

 海辺の学校でなくても自校が海抜何m位の所にあるかを学校は知っている。海抜1m位の場所に立つ学校でありながら津波に対する避難場所を定めてなかったこと、津波への避難訓練も実施していなかったことには驚かされる。津波が子ども達を呑み込んでいく状況を思い浮かべると涙が出る。全児童の7割もの犠牲が出たのに、過失はなかったなどということがあるはずないと思う。  (2018.5.8)

◇窃盗額が1000万円とは…

 東京都江東区の区立中学3年の女子生徒が友人宅で、友人の母親が保管していた現金1000万円を盗み逮捕されたとテレビや新聞(平成30年4月17日)が報じていた。金額の多さだけでなく、いつ盗まれたか分からない(1月初旬から2月27日までの間)ということも驚きである。

 女子生徒は盗んだ現金をクローゼットに隠したが、母親に見つかると、知らない男から預かったなどと話し、2月中旬頃から同じ中学校の同級生約10人に配ったりしていた。配った理由は同級生から仲間はずれにされているように感じ、そのストレスを解消するためだったとのことである。働いて得たお金でなければありがたみも、もったいないという気持ちにもなれないのだろう。

 これ程の金額ではなかったが、現職の頃に同じようなことがあった。自宅にあった古い財布に銀行のカードが入っていたので、暗証番号として親の誕生日などを入力してみたらカードが使えるようになり、現金の引き出しができるようになってしまったのである。その後は打ち出の小槌のようなもので、何度も引き出しては友人などにおごったりくれたりしていたのだった。

 親は子どもの友人に渡った金を取り戻そうと、学校に回収への協力を求めてきたが、カードの管理を怠った家庭内の問題であること、また、金は使ってしまって残ってなかったことなどから親同士で解決してほしいと依頼には応じなかった。

 学校に協力を求めてきたということではその他にもあった。小学生の子どもの友だちが遊びに来て金がなくなった。友人が盗ったようなので取り戻すために力を貸してほしいと親は小学校に頼んだ。小学校は、盗ったと疑われている小学生の上の子が中学校にいたので、中学校でも力を貸してほしいと連絡してきたのだが、学校は多忙であり、警察がするようなことはできないと断ったのである。 

 今回報道された件では現金は同級生から約740万円が回収され、女子生徒の部屋から約50万円が発見されたということなので、200万円を越える金額が未回収ということになる。現金をしっかり管理しなかったことで、結果として娘の友人に犯罪を犯させたことをこの母親は大いに反省すべきだろう。 (2018.4.28)

◇世論はネットで調査すべきだろう

 内閣や政党の支持率など、報道各社の世論調査の結果はどうしてこうも違うのかと感じることが多い。調査の仕方に違いがあったり、社の意向に沿うような結果になるよう仕組まれているからだろうか。反日的と評判の悪いメディアの調査は他と大きくかけ離れることが多い。

 調査方式も回答者の人数も問題はないらしいが、信用できない。私にも調査の電話がかかってきたことがあるが、基本的にこういう調査には応じないし、まして評判の悪いメディアの調査には絶対に応じない。電話調査に応じる人は6割くらいなので、私のような人間は大勢いるということだろう。したがって、回答者の多くはメディアの日頃の主張に賛同する人たちということになる。

 電話調査だと千人程度の調査になってしまうが、ネットならあっという間に何十万人何百万人の調査ができる。より実態に近い結果が得られるかもしれない。報道各社の現内閣の支持率は高くはないが、ネット調査だと驚異的と思えるほど支持率は高い。

 国会では本来やるべきことをそっちのけで森友問題を議論してきたが、もういい加減にしてほしいものだ。経済や憲法、防衛などの問題にもっと時間を割くべきである。政府与党には世論の調査結果に一喜一憂することなく、また、世論調査を政府攻撃に利用するメディアや野党対策のためにも世論はネットで調査すべきだろう。  (2018.4.9)

◇文科省は違法なことをしたわけではない

 名古屋市立八王子中学校が前川喜平文科省事務次官を講師に招いて講演会を行ったところ、文科省は市教委を通してその目的や経緯などを詳細に尋ねるメールを送ったとのことである。

 元次官は官僚の天下り問題で辞任を余儀なくされた人物で、出会い系のバーに出入りし、次官になる前には国会前での安保法制反対デモにも参加していたのだそうだ。

 退官後、加計学園の問題に突如現れ執拗に政府批判を続けるなど大いに世間を騒がせた。また、座右の銘面従腹背と公言したことで、文科省を貶めたのである。文科省職員は情けない思いをしたことだろう。教育現場もこんな人間が教育行政に関わっていたのかと空しさを覚えたことだろう。

 反日的なメディアや野党は、この度の件を教育への国家の介入と批判を繰り返しているが、学校は教育基本法や学校教育法などの法令に則り、学習指導要領が示すところに従って教育課程を編制し教育活動を行うのであり、文科省が現場の実践を確認(把握)するための照会を行っても、それは違法なことではない。与党議員が文科省に問い合わせたことも議員なら当然だろう。

 面従腹背座右の銘とする人間に私なら絶対に講師を依頼しない。講話の中味よりも、人間性として生徒の前に立たせる人間ではないからである。校長の意思が大きかったのだろうが、教職員はどう思っているのだろう。この講演会に胸を張れるのだろうか。  (2018.3.28)

◇道義的責任は注意か訓告止まり

 財務省の文書書き換えには呆れた。ごまかしや言い逃れで切り抜けようとするような根性がこのような事態を招いたのかもしれない。書き換えを指示した人間は大馬鹿である。

 小泉進次郎議員は、この度の件に自民党はトカゲのしっぽ切りはしない、官僚だけに責任を取らせる政党ではないという姿を見せる必要があるなどと語ったが、どうしてこうなったのかなどが明らかになっていない段階で言うべきことではない。

 麻生大臣が辞任したとしても、それをトカゲのしっぽ切りとしか考えない人たちの森友問題の執拗な追及(攻撃)は、もはや国難としか思えない。因に教育公務員なら重大な過失や故意がなければ注意か訓告止まりで、戒告・減給・停職・免職といった処分は科されない。道義的な責任ということなら現段階で麻生大臣が辞任する必要はないだろう。

 先ずはしっかり調べて書き換えに至った経緯などを明らかにし、責任を取るべき人間が責任をとるべきなのである。反日的なメディアや野党は安倍政権を倒すことが目的で、国家国民などどうでもいいように感じる。小泉議員の発言はこんな人たちを利するようなものだ。

 人気はあっても、人気と同時に信頼が得られているとは限らない。与党の議員なら政府を支える立場であり、第1次安倍政権の時のように足を引っ張って潰してしまうようなことをしてはならないだろう。人気は一気に地に落ちることもある。  (2018.3.22)

◇質問する記者たちも映すべきだろう

 テレビで報じられる政府関係者などの記者会見の多さでは菅官房長官が一番だろう。冷静沈着、つけ入る隙を与えないような受け答えは長期政権になくてはならない存在と思うが、記者会見の様子を見ていていつも感じることは、なぜ記者が質問している様子を映さないのかということである。

 映されて困るような人もいないだろうし、記者としてのプライドがあったら映してほしいと思うのではなかろうか。

 中学校の図書室(生徒は上履きを脱いで入室)で記者会見を開いたら、土足のまま入り込み靴を脱ぐよう促されても脱がずに正義の味方面して学校を糾弾した人がいたそうで、その姿を多くの人に見せてやりたかったと話した教員がいた。失言をひき出して問題にしようとの悪意をもった記者もいるが、そういう人達の行状を映せば無礼な振る舞いもなくなるだろう。

 選挙であれば候補者の演説だけでなく、演説を聞いている観衆の様子も知りたい。記者会見も同じである。会見者の発言だけでなく、質問している記者の様子も見られる記者会見であってほしいものだ。  (2018.3.13)

◇関心はメダルだけではない

 平昌オリンピックも無事に終わった。選手達の熱闘や美談に大勢の国民が感動したことだろう。次はパラリンピックだが、報道のあり方には改善が必要である。

 オリンピックだけではないが、勝敗に異常なほど執着するメディアにうんざりする。メダルが取れるか、連覇はどうかなど、勝敗の予想が朝から晩まで続く。

 選手なら誰だって勝ちたいし、メダルがいただけるならいただきたいものだ。それが金メダルだったらさぞうれしいことだろう。メディアの異常な報道によって、どう考えてもメダルには届きそうにない選手でさえメダルを口にする。本当に罪なことである。

 多くの国民はそんな報道を望んではいないだろう。国の代表としての重圧に負けることなく、培ってきた力や技を存分に発揮して日本人はもちろん、外国人にも勇気や希望、感動を与えるような演技や勝負を期待していたのではなかろうか。

 勝ち負けに拘り過ぎると品がなくなるが、報道も同じだろう。品がなければうんざりするのも当然である。そう感じた国民は大勢だったかもしれない。  (2018.2.26)