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本来の姿を取り戻す

「みんなの心に輝く学校をめざして」取り組んだ学校経営、「生き生きとした学校生活のために」取り組んだ生徒指導で感じた課題の解消を念頭に置いて教育問題などを考えます。

◇人気はあっても

 小泉進次郎議員の総理批判が度々報道される。確かにその通りと思うこともあるが、メディアの前で何度も批判を口にするのは止めるべきだろう。批判的なことは直接伝えた方がいい。

 褒め称えることは人伝に聞かせた方がより効果的だが、そうではないことは人伝にしないのが生徒指導の原則である。小泉議員はその逆をやっている。

 安倍総理を引きずり下ろそうとしている野党や偏向メディアにとって小泉議員は総理批判の格好の材料だろう。森友や加計問題では、総理の説明不足等を度々口にしたが、野党の追及やメディアの偏向報道はあれでいいと考えているのだろうか。問題の本質を見抜いている多くの国民は納得しないだろう。

 衆院選の大勝についても国民の信頼を得たわけではないと繰り返し発言しているが、自民党に投票した人は不信感を募らせているかもしれない。総理支持者は人気があることで思い上がっているのではとの気持ちかもしれない。

 小池都知事は人気があったが、あっという間に消え失せた。人気はあっても信頼されていたわけではないということだろう。石破議員も同じようなもので、今では国民の支持も激減したことだろう。

 小泉議員は自民党議員に信頼されているのだろうか。国民の信頼が得られていると思っているのだろうか。  (2017.11.13)

◇叙勲で思い出すこと

 4月29日に春の叙勲、11月3日には秋の叙勲受章者が発表される。県内の受章者でもほとんど知らない人ばかりだが、現職中の勤務が中学校だったので、受章者に中学校の校長だった方の名前を見つけることがある。

 何人かの元校長の受章は瑞宝双光章だった。隣の町内会長さんが受章されたが、こちらは旭日単光章だった。受章者に授与される勲章文化勲章を除く)には以下のような種類がある。

大勲位(だいくんい)菊花章大勲位菊花章頸飾(けいしょく)〔最高位の勲章〕
              大勲位菊花大綬章(だいじゅしょう)
O桐花大綬章

旭日章旭日大綬章
     旭日重光章
     旭日中綬章
     旭日小綬章
     旭日双光章
     旭日単光章

瑞宝章瑞宝大綬章
     瑞宝重光章
     瑞宝中綬章
     瑞宝小綬章
     瑞宝双光章
     瑞宝単光章

 大勲位菊花章、桐花大綬章を受章する方はほとんどいない。旭日章瑞宝章が主な叙勲となる。旭日章は社会の各分野で顕著な功績を挙げた方に、瑞宝章は公務等に長年にわたり従事し成績を挙げた方に授与される。

 前置きが長くなったが、私は2度受章祝賀会に出席したことがある。2度目は2年前瑞宝双光章だが、1度目は20年程前になる。平成15年の栄典制度の改正前の受章だったので、勲五等双光旭日章という名称だった。大学の剣道部の先輩であり私の母校の中学校の校長をされた方で、多くの人に尊敬された有名な方だった。

 祝賀会場で先生のそばに寄りお祝いを述べると、先生は低頭して勲章を両手でかざし、「これを天皇様からいただいた」と絞り出すように声を出されて見せてくれたのだった。天皇陛下に対する先生の尊皇心に私もあのような気持ちになれる人間でありたいと思った。

 「天皇陛下は国民のことを一心に考えておられる。天皇陛下を上に戴いていることは日本人の誇りである。日本民族は品のいい民族でありたい」と頭山興助先生は講演会(平成22年2月16日 小山市で話されたが、共感できたのは20年前の受章祝賀会があったからである。  (2017.11.4)

◇祝日には国旗が掲げられる風景を見たい

 好天に恵まれた9日は体育の日なので玄関に国旗を掲げた。我が家では旗日に当たり前のように国旗を掲げるが、掲げている家は非常に少ない。

 因みに私の散歩コースでは全く見かけない。掲げられないのは国旗を持ってない、掲げるための金具等の設置がない、そして、最も大きな理由が国旗を掲げることへの抵抗だろう。

 国旗への抵抗は、国旗や国歌、愛国心といったことを悪者にするような戦後の間違った認識にあるように思う。3月1日の卒業式を前に、国旗の掲揚で揉めていた広島県立高校の校長の自殺をきっかけに国旗国歌法が制定(平成11年)されたが、認識が改まったわけではない。

 国旗の掲揚に起立や脱帽をせず、国歌も歌わない状況を見ることがある。国民が味わった戦中戦後の悲惨な経験は国旗や国歌によってもたらされたものではないのだが、この認識を改めるには長い年月が必要だろう。

 国旗を掲げ続けているが、私は周囲の人から偏見をもたれていると感じたことがない。旗日には国旗がはためく昔の風景を見たいものだ。  (2017.10.19)

◇大きな転機になるかも

 この度の衆議院解散に降って湧いたような野党再編の動きには呆れる。9月25日に小池都知事が「希望の党(平成29年9月25日)を立ち上げると、28日には民進党が新党への合流を満場一致で決定した。

 政権を担ったこともある党が党名を捨て、それまで反対してきた安保法制や憲法改正を標榜する新党に加わろうとする節操の無さに驚いた。

 小池知事が民進党前議員をそっくりそのまま受け入れるはずもなく、民進党にとって当初の目論見が大きく外れた悲惨な結果になった。安倍政権を倒すとの思いのみで進むことの危うさに踏み止まることができなかった当然の結末だろう。

 希望の党はできたばかりで政権を担う準備はできていないだろう。政権を担える党になるには経験を積み実力を養って国民の信頼を得なければならない。今回の選挙で大勝し政権を取ることは難しかろう。

 日本が大きな変貌を遂げるきっかけとなるような選挙になるかもしれない。有権者には棄権などせず投票所に行ってほしいものだ。  (2017.10.4)

◇広島平和宣言(6)…核兵器を無力化する兵器の登場まで廃絶はない

 広島平和宣言は、原爆死没者への追悼とともに核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を願った内容として多くの国民の納得は得られただろう。しかし、以下のような点には疑問を感じた。

 平和宣言で、市民社会は、既に核兵器というものが自国の安全保障にとって何の役にも立たないということを知り尽くし…云々]と述べているが、自国の安全保障に役立つと考えるから核兵器の廃絶ができないのであり、核兵器を持ちたがる国もなくならないのである。何の役にも立たないということを知り尽くしてなどいない。

 日本政府に、日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡し]を求めても、核兵器とミサイル開発に邁進する北朝鮮を世界がどうにも止められない状況を考えたら、むなしい要求に思える。

 核兵器を廃絶させたいなら、廃絶を訴えるより核兵器を無力化するような兵器などの開発を訴えるべきだろう。多くの人の誠意や願いがあっても廃絶は無理である。

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 平和宣言

 皆さん、72年前の今日、8月6日8時15分、広島の空に「絶対悪」が放たれ、立ち昇ったきのこ雲の下で何が起こったかを思い浮かべてみませんか。鋭い閃光がピカーッと走り、凄まじい放射線と熱線。ドーンという地響きと爆風。真っ暗闇の後に現れた景色のそこかしこには、男女の区別もつかないほど黒く焼け焦げて散らばる多数の屍(しかばね)。その間をぬって、髪は縮れ真っ黒い顔をした人々が、焼けただれ裸同然で剝(は)がれた皮膚を垂らし、燃え広がる炎の中を水を求めてさまよう。目の前の川は死体で覆われ、河原は火傷(やけど)した半裸の人で足の踏み場もない。正に地獄です。「絶対悪」である原子爆弾は、きのこ雲の下で罪のない多くの人々に惨(むご)たらしい死をもたらしただけでなく、放射線障害や健康不安など心身に深い傷を残し、社会的な差別や偏見を生じさせ、辛うじて生き延びた人々の人生をも大きく歪めてしまいました。

 このような地獄は、決して過去のものではありません。核兵器が存在し、その使用を仄(ほの)めかす為政者がいる限り、いつ何時、遭遇するかもしれないものであり、惨たらしい目に遭(あ)うのは、あなたかもしれません。

 それ故、皆さんには是非とも、被爆者の声を聞いてもらいたいと思います。15歳だった被爆者は、「地獄図の中で亡くなっていった知人、友人のことを偲(しの)ぶと、今でも耐えられない気持ちになります。」と言います。そして、「一人一人が生かされていることの有難さを感じ、慈愛の心、尊敬の念を抱いて周りに接していくことが世界平和実現への一歩ではないでしょうか。」と私たちに問い掛けます。

 また、17歳だった被爆者は、「地球が破滅しないよう、核保有国の指導者たちは、核抑止という概念にとらわれず、一刻も早く原水爆を廃絶し、後世の人たちにかけがえのない地球を残すよう誠心誠意努力してほしい。」と語っています。

 皆さん、このような被爆者の体験に根差した「良心」への問い掛けと為政者に対する「誠実」な対応への要請を我々のものとし、世界の人々に広げ、そして次の世代に受け渡していこうではありませんか。

 為政者の皆さんには、特に、互いに相違点を認め合い、その相違点を克服するための努力を「誠実」に行っていただきたい。また、そのためには、核兵器の非人道性についての認識を深めた上で、自国のことのみに専念して他国を無視することなく、共に生きるための世界をつくる責務があるということを自覚しておくことが重要です。

 市民社会は、既に核兵器というものが自国の安全保障にとって何の役にも立たないということを知り尽くし、核を管理することの危うさに気付いてもいます。核兵器の使用は、一発の威力が72年前の数千倍にもなった今、敵対国のみならず自国をも含む全世界の人々を地獄へと突き落とす行為であり、人類として決して許されない行為です。そのような核兵器保有することは、人類全体に危険を及ぼすための巨額な費用投入にすぎないと言って差し支えありません。

 今や世界中からの訪問者が年間170万人を超える平和記念公園ですが、これからもできるだけ多くの人々が訪れ、被爆の実相を見て、被爆者の証言を聴いていただきたい。そして、きのこ雲の下で何が起こったかを知り、被爆者の核兵器廃絶への願いを受け止めた上で、世界中に「共感」の輪を広げていただきたい。特に、若い人たちには、広島を訪れ、非核大使として友情の輪を広げていただきたい。広島は、世界の人々がそのための交流をし、行動を始める場であり続けます。

 その広島が会長都市となって世界の7,400を超える都市で構成する平和首長会議は、市民社会において世界中の為政者が、核兵器廃絶に向け、「良心」に基づき国家の枠を超えた「誠実」な対応を行えるような環境づくりを後押ししていきます。

 今年7月、国連では、核保有国や核の傘の下にある国々を除く122か国の賛同を得て、核兵器禁止条約を採択し、核兵器廃絶に向かう明確な決意が示されました。こうした中、各国政府は、「核兵器のない世界」に向けた取組を更に前進させなければなりません。

 特に、日本政府には「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」と明記している日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい。また、平均年齢が81歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々に寄り添い、その支援策を一層充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

 私たちは、原爆犠牲者の御霊に心からの哀悼の誠を捧げ、世界の人々と共に、「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。

 平成29年(2017年)8月6日  広島市長 松井 一實

 (2017.9.20)

◇犠牲覚悟の対応が必要になるかも

 北朝鮮の6回目の核実験(平成29年9月3日)で、日米韓の取るべき対応は決まったように思う。話し合いで解決しようとの試みは失敗しただけでなく、北朝鮮核兵器とミサイル開発のための時間を与えてしまった。

 国民を虫けらのように殺すことをためらわない残忍な指導者の下で、数十発数百発の核ミサイルが実戦配備されたら手の施しようがなくなる。

 核兵器を持たず敵基地攻撃力のない日本など、赤子の手をひねるようなもので、数千万の日本人が殺される、あるいは、全滅の危機が訪れるかもしれない。一刻も猶予すべき時間はないと感じる。

 犠牲者を出さずに解決したいものだが、それは無理かもしれない。9・11の時には、ハイジャックされた旅客機を状況によっては戦闘機が撃ち落とすことにしていたとのことだが、日本の防衛のためには犠牲覚悟の対応もしなければならないだろう。   (2017.9.6)

◇長崎平和宣言(5)…役に立たなくなって核兵器の廃絶が実現する

 長崎平和祈念式典における平和宣言、平和の誓いも改善されてきてはいるが、まだまだ疑問に感じることが少なくない。多くの国民の賛同が得られないような内容は盛り込むべきではない。また、祈念式典を妨害するようなデモは厳しく規制すべきだろう。

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 ▽平和宣言の以下の内容は疑問である。

核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。]

 核の傘に依存する政策の見直しを進めていくことは、日米同盟の解消に繋がっていく。日本だけで日本の防衛ができない状況では、日米同盟が弱体化するようなことを絶対にしてはならない。

核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。]

 「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を政府に求める前に、中国、ロシア、北朝鮮への働きかけを長崎市がやってはいかがだろう。この3国が同意しなければ非核兵器地帯の創設などできない。できそうもないことを政府に求めるべきではない。

 核兵器の廃絶は、核ミサイルを瞬時に破壊できるようなレーザー兵器を開発するとか、核兵器を無力化する防衛システムを完成させなければできないだろう。

[福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い応援します。]

 長崎市放射能汚染土を受け入れたり、福島県産品の消費拡大に貢献をしているのだろうか。多大な貢献をしていないなら広島のように言及すべきではない。福島の人達は口先だけの応援をとても嫌がっている。

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 ▽平和への誓いは、原子力発電に言及しなければ申し分のない内容だったが、電力会社の社員や家族、関係者、原発賛成の多くの国民の反発を買ったことだろう。

[私は「核は人類と共存できない」と確信しています。2011年3月、福島第一原子力発電所の事故が発生し国内の原発は一斉に停止され、核の脅威に怯えました。しかし、リスクの巨大さに喘いでいる最中、こともあろうに次々と原発が再稼働しています。地震多発国のわが国にあって如何なる厳しい規制基準も「地震の前では無力」です。原発偏重のエネルギー政策は、もっと自然エネルギーに軸足を移すべきではないでしょうか。]

 核兵器原子力発電を一緒にする深堀老人の認識には呆れる。原子力の平和利用は今後も研究する必要があるだろう。原発の再稼働は、原子力規制委員会の厳しい審査に合格したのであって、地震の前では無力との根拠のない主張は非常に失礼である。福島の原発事故は安全対策を怠った人災であることは明らかである。

[戦後「平和憲法」を国是として復興したわが国が、アジアの国々をはじめ世界各国から集めた尊敬と信頼は……]

 「平和憲法を国是」として復興したとの主張は間違っている。結党以来憲法改正を党是とする政党があるのは国是でなかったことの証明だろう。憲法が正しくないからである。憲法を国是としたから復興したのでもない。我が国の存立を危険にさらすような憲法がどうして平和憲法と言えるのだろうか。

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 過去の平和宣言、平和への誓いで触れた政府への要求や批判は、今では馬鹿げていると感じることが少なくない。平和祈念式典の目的から外れないようにすることが大切だろう。国民の反感を買うようなことは厳に慎むべきで、そうしなかったら「長崎の被爆者などどうでもいい」と思う国民が確実に増えていくだろう。

 


 長 崎 平 和 宣 言

 「ノーモア ヒバクシャ」
 この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。

 核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える 122 か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。

 私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。

 しかし、これはゴールではありません。今も世界には、15,000 発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。

 核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

 日本政府に訴えます。核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。

 また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

 私たちは決して忘れません。1945 年8月9日午前 11 時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15 万人もの人々が死傷した事実を。

 あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。

 そして 72 年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。

 世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。

 人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。

 世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。

 今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の 7,400 の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。

 被爆者の平均年齢は 81 歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。

 福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。

 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

 2017年(平成 29 年)8月9日 長崎市長 田上 富久


 
 平和への誓い

 原爆が投下された1945年8月9日、私は16歳。爆心地から3・6キロ離れた長崎県疎開事務所に学徒動員されていました。11時2分、白い閃光(せんこう)と爆発音を感じ慌てて机の下にもぐり込みました。

 夕方、帰宅命令が出て、私は学友と2人、金比羅山を越えて帰ろうと山の中腹まできたところ、山上から逃げてくる多くのけが人に「山の向こうは一面火の海だから…」と制止され、翌朝、電車の線路に沿って歩き始めました。

 長崎駅の駅舎は焼け落ち、見慣れた町並みは消えてなくなり、別世界に迷い込んだようでした。ようやく辿(たど)りついた山王神社近くの親せきの家は倒壊していました。その中で家の梁(はり)を右腕に抱きかかえるような姿で18歳の姉は息絶えていました。

 あの時、私が無理をしてでも家に帰っていれば、せめて最期に声をかけられたのではないかと、今でも悔やまれてなりません。そのあと大学病院へ向かい、さらに丘を越えると眼下に浦上天主堂が炎上していました。涙があふれ出るとともに怒りを覚え、「ああ、世界が終わる」と思いました。

 ここ平和公園の横を流れる川には折り重なって死体が浮いていました。私は、三ツ山に疎開していた両親に姉の死を報告し、8月12日、母と弟と3人で材木を井桁に組み、姉の遺体を荼毘(だび)に付しました。その日は晴天でした。頭上から真夏の太陽が照りつけ、顔の正面からは熱気と臭気がせまり目がくらみそうでした。母は少し離れた場所で地面を見つめたまま、ただ祈り続けていました。

 たった一発の原子爆弾は7万4千人の尊い命を奪い、7万5千人を傷つけました。あの日、爆心地周辺から運よく逃げ延びた人々の中には、助かった喜びも束(つか)の間、得体(えたい)のしれない病魔に襲われ多くが帰らぬ人となりました。なんと恐ろしいことでしょう。

 私は「核は人類と共存できない」と確信しています。2011年3月、福島第一原子力発電所の事故が発生し国内の原発は一斉に停止され、核の脅威に怯(おび)えました。しかし、リスクの巨大さに喘(あえ)いでいる最中、こともあろうに次々と原発が再稼働しています。地震多発国のわが国にあって如何(いか)なる厳しい規制基準も「地震の前では無力」です。原発偏重のエネルギー政策は、もっと自然エネルギーに軸足を移すべきではないでしょうか。戦後「平和憲法」を国是として復興したわが国が、アジアの国々をはじめ世界各国から集めた尊敬と信頼は決して失ってはなりません。また、唯一の戦争被爆国として果たすべき責務も忘れてはなりません。

 私は1979年、原爆で生き残った有志6人で原爆写真の収集を始め、これまでに様々な人たちが撮影した4千枚を超える写真を収集検証してきました。原子雲の下で起きた真実を伝える写真の力を信じ、これからも被爆の実相を伝え、世界の恒久平和核廃絶のために微力をつくすことを亡くなられた御霊の前に誓います。

 2017年(平成29年)8月9日 被爆者代表 深堀好敏

 (2017.8.25)