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本来の姿を取り戻す

「みんなの心に輝く学校をめざして」取り組んだ学校経営、「生き生きとした学校生活のために」取り組んだ生徒指導で感じた課題の解消を念頭に置いて教育問題などを考えます。

◇犠牲覚悟の対応が必要になるかも

 北朝鮮の6回目の核実験(平成29年9月3日)で、日米韓の取るべき対応は決まったように思う。話し合いで解決しようとの試みは失敗しただけでなく、北朝鮮核兵器とミサイル開発のための時間を与えてしまった。

 国民を虫けらのように殺すことをためらわない残忍な指導者の下で、数十発数百発の核ミサイルが実戦配備されたら手の施しようがなくなる。

 核兵器を持たず敵基地攻撃力のない日本など、赤子の手をひねるようなもので、数千万の日本人が殺される、あるいは、全滅の危機が訪れるかもしれない。一刻も猶予すべき時間はないと感じる。

 犠牲者を出さずに解決したいものだが、それは無理かもしれない。9・11の時には、ハイジャックされた旅客機を状況によっては戦闘機が撃ち落とすことにしていたとのことだが、日本の防衛のためには犠牲覚悟の対応もしなければならないだろう。   (2017.9.6)

◇長崎平和宣言(5)…役に立たなくなって核兵器の廃絶が実現する

 長崎平和祈念式典における平和宣言、平和の誓いも改善されてきてはいるが、まだまだ疑問に感じることが少なくない。多くの国民の賛同が得られないような内容は盛り込むべきではない。また、祈念式典を妨害するようなデモは厳しく規制すべきだろう。

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 ▽平和宣言の以下の内容は疑問である。

核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。]

 核の傘に依存する政策の見直しを進めていくことは、日米同盟の解消に繋がっていく。日本だけで日本の防衛ができない状況では、日米同盟が弱体化するようなことを絶対にしてはならない。

核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。]

 「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を政府に求める前に、中国、ロシア、北朝鮮への働きかけを長崎市がやってはいかがだろう。この3国が同意しなければ非核兵器地帯の創設などできない。できそうもないことを政府に求めるべきではない。

 核兵器の廃絶は、核ミサイルを瞬時に破壊できるようなレーザー兵器を開発するとか、核兵器を無力化する防衛システムを完成させなければできないだろう。

[福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い応援します。]

 長崎市放射能汚染土を受け入れたり、福島県産品の消費拡大に貢献をしているのだろうか。多大な貢献をしていないなら広島のように言及すべきではない。福島の人達は口先だけの応援をとても嫌がっている。

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 ▽平和への誓いは、原子力発電に言及しなければ申し分のない内容だったが、電力会社の社員や家族、関係者、原発賛成の多くの国民の反発を買ったことだろう。

[私は「核は人類と共存できない」と確信しています。2011年3月、福島第一原子力発電所の事故が発生し国内の原発は一斉に停止され、核の脅威に怯えました。しかし、リスクの巨大さに喘いでいる最中、こともあろうに次々と原発が再稼働しています。地震多発国のわが国にあって如何なる厳しい規制基準も「地震の前では無力」です。原発偏重のエネルギー政策は、もっと自然エネルギーに軸足を移すべきではないでしょうか。]

 核兵器原子力発電を一緒にする深堀老人の認識には呆れる。原子力の平和利用は今後も研究する必要があるだろう。原発の再稼働は、原子力規制委員会の厳しい審査に合格したのであって、地震の前では無力との根拠のない主張は非常に失礼である。福島の原発事故は安全対策を怠った人災であることは明らかである。

[戦後「平和憲法」を国是として復興したわが国が、アジアの国々をはじめ世界各国から集めた尊敬と信頼は……]

 「平和憲法を国是」として復興したとの主張は間違っている。結党以来憲法改正を党是とする政党があるのは国是でなかったことの証明だろう。憲法が正しくないからである。憲法を国是としたから復興したのでもない。我が国の存立を危険にさらすような憲法がどうして平和憲法と言えるのだろうか。

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 過去の平和宣言、平和への誓いで触れた政府への要求や批判は、今では馬鹿げていると感じることが少なくない。平和祈念式典の目的から外れないようにすることが大切だろう。国民の反感を買うようなことは厳に慎むべきで、そうしなかったら「長崎の被爆者などどうでもいい」と思う国民が確実に増えていくだろう。

 


 長 崎 平 和 宣 言

 「ノーモア ヒバクシャ」
 この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。

 核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える 122 か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。

 私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。

 しかし、これはゴールではありません。今も世界には、15,000 発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。

 核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

 日本政府に訴えます。核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。

 また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

 私たちは決して忘れません。1945 年8月9日午前 11 時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15 万人もの人々が死傷した事実を。

 あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。

 そして 72 年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。

 世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。

 人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。

 世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。

 今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の 7,400 の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。

 被爆者の平均年齢は 81 歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。

 福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。

 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

 2017年(平成 29 年)8月9日 長崎市長 田上 富久


 
 平和への誓い

 原爆が投下された1945年8月9日、私は16歳。爆心地から3・6キロ離れた長崎県疎開事務所に学徒動員されていました。11時2分、白い閃光(せんこう)と爆発音を感じ慌てて机の下にもぐり込みました。

 夕方、帰宅命令が出て、私は学友と2人、金比羅山を越えて帰ろうと山の中腹まできたところ、山上から逃げてくる多くのけが人に「山の向こうは一面火の海だから…」と制止され、翌朝、電車の線路に沿って歩き始めました。

 長崎駅の駅舎は焼け落ち、見慣れた町並みは消えてなくなり、別世界に迷い込んだようでした。ようやく辿(たど)りついた山王神社近くの親せきの家は倒壊していました。その中で家の梁(はり)を右腕に抱きかかえるような姿で18歳の姉は息絶えていました。

 あの時、私が無理をしてでも家に帰っていれば、せめて最期に声をかけられたのではないかと、今でも悔やまれてなりません。そのあと大学病院へ向かい、さらに丘を越えると眼下に浦上天主堂が炎上していました。涙があふれ出るとともに怒りを覚え、「ああ、世界が終わる」と思いました。

 ここ平和公園の横を流れる川には折り重なって死体が浮いていました。私は、三ツ山に疎開していた両親に姉の死を報告し、8月12日、母と弟と3人で材木を井桁に組み、姉の遺体を荼毘(だび)に付しました。その日は晴天でした。頭上から真夏の太陽が照りつけ、顔の正面からは熱気と臭気がせまり目がくらみそうでした。母は少し離れた場所で地面を見つめたまま、ただ祈り続けていました。

 たった一発の原子爆弾は7万4千人の尊い命を奪い、7万5千人を傷つけました。あの日、爆心地周辺から運よく逃げ延びた人々の中には、助かった喜びも束(つか)の間、得体(えたい)のしれない病魔に襲われ多くが帰らぬ人となりました。なんと恐ろしいことでしょう。

 私は「核は人類と共存できない」と確信しています。2011年3月、福島第一原子力発電所の事故が発生し国内の原発は一斉に停止され、核の脅威に怯(おび)えました。しかし、リスクの巨大さに喘(あえ)いでいる最中、こともあろうに次々と原発が再稼働しています。地震多発国のわが国にあって如何(いか)なる厳しい規制基準も「地震の前では無力」です。原発偏重のエネルギー政策は、もっと自然エネルギーに軸足を移すべきではないでしょうか。戦後「平和憲法」を国是として復興したわが国が、アジアの国々をはじめ世界各国から集めた尊敬と信頼は決して失ってはなりません。また、唯一の戦争被爆国として果たすべき責務も忘れてはなりません。

 私は1979年、原爆で生き残った有志6人で原爆写真の収集を始め、これまでに様々な人たちが撮影した4千枚を超える写真を収集検証してきました。原子雲の下で起きた真実を伝える写真の力を信じ、これからも被爆の実相を伝え、世界の恒久平和核廃絶のために微力をつくすことを亡くなられた御霊の前に誓います。

 2017年(平成29年)8月9日 被爆者代表 深堀好敏

 (2017.8.25)

◇教育目標(3)…目標にされることが重要

 学校が行うあらゆる教育活動は教育目標の達成にある。したがって、教育目標は教職員や生徒に強く意識されなければならないだろう。教育目標を職員室や教室に掲げても、教職員や生徒に目標とされない学校は、羅針盤を持たずに大海原に出帆した船のようなものだ。

 下記は現職中勤務した中学校の目標である。現在までに新たな目標を設定した学校もあるが、多くは一部変更、あるいはそのままである。

 学校創立時の頃の様子を当時の校長先生にお聞きする機会を設けたことがあった。先生は教育目標が変更されずにあったことをとても喜んでいた。教育目標は建学の精神として残し、新たな目標をと考えていた私だったが、その学校(G中学校)では手を加えたりしなかった。現職最後の学校H中学校)に異動となり、そこで新たな目標を定めた。校訓は正門近くのブロック塀に大書され、また、登校時によく見える北側窓ガラスにも張り出されている。


・A中学校→ ○自主学習
       ○敬愛協力
       ○健康安全

・B中学校→ ○より確かに
       ○より豊かに
       ○より逞しく

・C中学校→ ○学びとる力
       ○思いやる心

・D中学校→ ○自分で考え責任をもって行う生徒
       ○心も体も強じんな生徒
       ○感謝の心をもち、思いやりの行いのできる生徒

・E中学校→ ○心身ともに健康な生徒
       ○自ら考え想像力を高める生徒
       ○広い心で協調できる生徒
       ○根気強く努力する生徒

・F中学校→ ○自主的に考え、知性をみがこう
       ○誠意を示し、自他を尊重しよう
       ○美を愛し、豊かな心をもとう
       ○心身を鍛え、生命を大切にしよう
       ○国際理解に努めよう

・G中学校→ ○創造-よく学び創造に努める人
       ○連帯-美しい心でよく助け合う人
       ○健康-じょうぶで困難に耐える人

・H中学校→ ○校訓「強く 正しく 美しく」を設定し、新たな目標として「校訓が息づく生徒を育成する」とした。

  (2017.8.8)

◇日本を取り戻す正念場

 第2次安倍内閣が発足した当初は、崖っぷちに立たされたこの国を救うのは安倍政権であり、ダメだったらこの国は終わりとの危機感があってか閣僚などの人事は適材適所、実力者が登用されたように思う。

 しかし、現在は第1次安倍内閣に近い状況を感じる。特に稲田大臣には呆れてしまった。参議院予算委員会(平成29年7月25日)で、「防衛省をしっかりと統制できていると思うか」と問われ、しっかりとした統制は信頼関係がなければできないことなので、信頼関係への言及があるかと思ったが全くなかった。「…批判は批判として受け止めつつ、これからもしっかりとやるべきこと為すべきことをやってまいりたい…云々」の答弁になったのは信頼関係がないからだろう。防衛省自衛隊からは全幅の信頼とまではいかないまでもある程度の信頼は得られており、職責を果たす上で支障はないくらいの答弁ができる大臣であってほしいものだ。

 また、国会質疑の不安そうな顔もよくない。防衛大臣なのだから、プロ集団である部下たちを安心させ、国家国民を守り抜くとの信念と覚悟をもって質疑に臨むべきだろう。

 人の上に立つ人間は部下職員のためも考えて行動すべきである。私心を去り、いい思いや得をするのは自分以外と考えて行動すれば誰だって信頼されるようになる。暴言や暴行を繰り返し君臨するような人間が信頼されることはない。

 憲法改正を控えメディアや野党などの政府攻撃は激しさを増すだろう。内閣の支持率を回復し困難に立ち向かうためには、国民の期待に応えられる実力者を多数揃えた派閥にとらわれない人事が重要だろう。8月3日の内閣改造に期待したいものである。   (2017.7.27)

◇本性が露わになった

 中谷前防衛大臣も黙っていたらよかったのに、もはや取り繕うことはできない。

 高知県南国市での「あ・い・う・え・お」発言(平成29年6月3日)に呆れた人も少なくないだろう。「あせらず、いばらず、うかれず、えこひいきせず、おこらず」との忠告は安倍総理人間性を貶めたも同然である。

 安保法制の時の頼りない答弁は不安を感じさせたが、総理などの援護で何とか乗り切った。勉強不足、まだまだ修養を積まなければならない身であることを忘れてはならないだろう。豚もおだてりゃ木に登ると言われるが、木に登ってしまったようである。

 7月9日のテレビ「時事放談」では、「家内の言うこと、厳しい意見、苦情、見解の異なる人、こんな人たち」と、「かきくけこ」で、人の言うことを聞くべきと苦言を呈したが、こんなくだらないことを発信すべきではない。応援のため訪れた総理に、こんな人たちが言ったことは、「安倍辞めろ、安倍帰れ」だった。応援演説もせずに帰れということなのだろうか。

 「THIS is 大打撃」も顰蹙(反感)を買っただけだろう。豊田議員、萩生田官房副長官、稲田防衛大臣、下村都連会長を名指しして揶揄するようなことをして国会議員を全うすることなどできないだろう。

 安倍政権になってから与野党の国会議員やメディアの実態(本性)が明らかになり、政治を正しく見られるようになった人も多い。日本は間違いなく本来の姿を取り戻すことだろう。  (2017.7.19)

◇大敗が悲惨な結果を招くとは思えない

 都議会議員選挙は自民党にとって大敗だったが、これが大きな問題だとは思えない。この敗北を安倍政権や自民党に結びつけようとする人達がいるが、的はずれである。

 負けたのは都議会自民党である。森友学園加計学園、議員の暴言・暴行、不適切発言などがなかったとしても、自民党は勝てなかっただろう。豊洲問題や舛添前知事へのチェック機能が働かなかったこと、小池知事誕生までに、そして、その後にも見られた元知事や会長などの大人げない対応は多くの人を呆れさせた。

 これから小池知事や都民ファーストの会が中核となり、都民のためにしっかり都政を運営していってくれたらそれでいいことである。総理には今後大いに応援させていただくと言ってほしいものだ。都議会自民党でなくても国家国民のために働く人達を応援したいものである。

 反日メディアなど、愚劣かつ下劣な人たちの妨害活動はこれからも長く続くだろう。まさにこれからが日本を取り戻す正念場であり、憲法改正はそのためにどうしても必要である。この度の反省を生かし、総理を始めとする改憲派議員には総力を挙げて取り組んでほしいものだ。  (2017.7.4)

◇旧足利市歌(4)…足利の歌だから

 市歌を生徒が歌えるようにしてほしいと市長が要望した頃は、市内の生徒のほとんどが歌えない状況だった。北中生を歌えるようにするために、教職員や保護者がどのように考えているかを把握する必要があり、調査(平成18年3月)を行った。市歌を教え歌えるようにすることについては、

                              教職員(校長・教頭除く)    保護者(1・2年各1学級)
 ・望ましい       5名        10名
 ・望ましくない     2名         3名
 ・何とも言えない   15名        39名

だった。

 賛同する人が少なく生徒がどう受け止めるか不安もあったが、教えてみると、足利の自然、歴史や文化、市歌制定当時の繫栄の様子、市民の心情などを誇らしく感じたのかもしれない。難しい歌詞も何ら支障にならなかった。指導してくれた音楽の先生は指導のしがいがあると話した。

 北中生が歌えるようになり西中生も歌えるようになったが、平成23年4月、新市歌が制定されたので旧市歌は今後歌われることがないかもしれない。

 足利在住の二人の信濃育ちの方(国際ソロプチミスト足利・会員)信濃の歌を絶賛し、高齢になった今でも歌えると話されたことを過去のブログに書いたが、二人とも学校で教えてもらったのではなく、何度も聴いたので覚えたとのことだった。

 旧市歌となっても足利市の歌であり、登下校放送などを通してしばしば耳にする機会があれば、信濃の歌のような存在になれるかもしれない。学校近くにお住まいだった中学校の校長先生(故人)は市歌放送を聴く度背筋がピーンと伸びると話されていたが、足利の宝のように思う。郷土への愛着、郷愁を覚える人間を育てるために活用したいものである。 (2017.6.27)