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本来の姿を取り戻す

「みんなの心に輝く学校をめざして」取り組んだ学校経営、「生き生きとした学校生活のために」取り組んだ生徒指導で感じた課題の解消を念頭に置いて教育問題などを考えます。

◇本性が露わになった

 中谷前防衛大臣も黙っていたらよかったのに、もはや取り繕うことはできない。

 高知県南国市での「あ・い・う・え・お」発言(平成29年6月3日)に呆れた人も少なくないだろう。「あせらず、いばらず、うかれず、えこひいきせず、おこらず」との忠告は安倍総理人間性を貶めたも同然である。

 安保法制の時の頼りない答弁は不安を感じさせたが、総理などの援護で何とか乗り切った。勉強不足、まだまだ修養を積まなければならない身であることを忘れてはならないだろう。豚もおだてりゃ木に登ると言われるが、木に登ってしまったようである。

 7月9日のテレビ「時事放談」では、「家内の言うこと、厳しい意見、苦情、見解の異なる人、こんな人たち」と、「かきくけこ」で、人の言うことを聞くべきと苦言を呈したが、こんなくだらないことを発信すべきではない。応援のため訪れた総理に、こんな人たちが言ったことは、「安倍辞めろ、安倍帰れ」だった。応援演説もせずに帰れということなのだろうか。

 「THIS is 大打撃」も顰蹙(反感)を買っただけだろう。豊田議員、萩生田官房副長官、稲田防衛大臣、下村都連会長を名指しして揶揄するようなことをして国会議員を全うすることなどできないだろう。

 安倍政権になってから与野党の国会議員やメディアの実態(本性)が明らかになり、政治を正しく見られるようになった人も多い。日本は間違いなく本来の姿を取り戻すことだろう。  (2017.7.19)

◇大敗が悲惨な結果を招くとは思えない

 都議会議員選挙は自民党にとって大敗だったが、これが大きな問題だとは思えない。この敗北を安倍政権や自民党に結びつけようとする人達がいるが、的はずれである。

 負けたのは都議会自民党である。森友学園加計学園、議員の暴言・暴行、不適切発言などがなかったとしても、自民党は勝てなかっただろう。豊洲問題や舛添前知事へのチェック機能が働かなかったこと、小池知事誕生までに、そして、その後にも見られた元知事や会長などの大人げない対応は多くの人を呆れさせた。

 これから小池知事や都民ファーストの会が中核となり、都民のためにしっかり都政を運営していってくれたらそれでいいことである。総理には今後大いに応援させていただくと言ってほしいものだ。都議会自民党でなくても国家国民のために働く人達を応援したいものである。

 反日メディアなど、愚劣かつ下劣な人たちの妨害活動はこれからも長く続くだろう。まさにこれからが日本を取り戻す正念場であり、憲法改正はそのためにどうしても必要である。この度の反省を生かし、総理を始めとする改憲派議員には総力を挙げて取り組んでほしいものだ。  (2017.7.4)

◇旧足利市歌(4)…足利の歌だから

 市歌を生徒が歌えるようにしてほしいと市長が要望した頃は、市内の生徒のほとんどが歌えない状況だった。北中生を歌えるようにするために、教職員や保護者がどのように考えているかを把握する必要があり、調査(平成18年3月)を行った。市歌を教え歌えるようにすることについては、

                              教職員(校長・教頭除く)    保護者(1・2年各1学級)
 ・望ましい       5名        10名
 ・望ましくない     2名         3名
 ・何とも言えない   15名        39名

だった。

 賛同する人が少なく生徒がどう受け止めるか不安もあったが、教えてみると、足利の自然、歴史や文化、市歌制定当時の繫栄の様子、市民の心情などを誇らしく感じたのかもしれない。難しい歌詞も何ら支障にならなかった。指導してくれた音楽の先生は指導のしがいがあると話した。

 北中生が歌えるようになり西中生も歌えるようになったが、平成23年4月、新市歌が制定されたので旧市歌は今後歌われることがないかもしれない。

 足利在住の二人の信濃育ちの方(国際ソロプチミスト足利・会員)信濃の歌を絶賛し、高齢になった今でも歌えると話されたことを過去のブログに書いたが、二人とも学校で教えてもらったのではなく、何度も聴いたので覚えたとのことだった。

 旧市歌となっても足利市の歌であり、登下校放送などを通してしばしば耳にする機会があれば、信濃の歌のような存在になれるかもしれない。学校近くにお住まいだった中学校の校長先生(故人)は市歌放送を聴く度背筋がピーンと伸びると話されていたが、足利の宝のように思う。郷土への愛着、郷愁を覚える人間を育てるために活用したいものである。 (2017.6.27)

◇国家存亡の危機が迫っている

 自民党石破茂議員は、安倍総理が意欲を表明した憲法9条の改正と2020年施行を批判したが、いったい何を考えているのだろう。

 安保法制の時には国民の理解が進んできたと言い切る自信がないなどと、背後から銃撃を加えるようなことをしたが、今回は北朝鮮と気脈を通じているのかと疑いたくなる。

 「わが党の議員が自信を持って国民に対し、わが党はこう考えると説明できなくて勢いで憲法を改正していいはずは全くない」との主張は国民を愚弄しているようなものだ。

 そんな説明など聞きたくはない。このままでは座して死を待つことになると危惧するから憲法改正に賛成する人が急増しているのである。日本の防衛のために必要なことはすぐやるべきだし躊躇してはならない。

 中国の横暴ぶりは増すばかり、北朝鮮では金正恩委員長に手ばたきばかりで変化の兆しなど微塵もない。改憲に反対するような議員や党は間違いなく国民の信頼を失うだろう。  (2017.6.14)

◇危機的状況を早く改善しよう

 不正に道を譲ったらその代償はあまりにも大きいと過去のブログに書いたが、不正ではなかったとしても、放置したら大変なことになることがどこの会社(職場)にもあるはずである。経験を積んだ社員なら、そういうことに気づいていることだろう。しかしながら、そのまま放置していることも少なからずあるのだろう。

 福島の原発事故もスマトラのような大地震が起きて津波が押し寄せたらどうなるか、そして、どうすべきかも分かっていた人はいただろう。しかし、そのための対策や訓練は行われなかったようである。声を上げても取り上げられず、あるいは上げづらい雰囲気があったりすれば問題だが、東電はどうだったのだろう。

 笹子トンネルのコンクリート製天井板の落下事故(平成24年12月2日)も、点検を目視で済ませたところがあったとのことだが、そんな点検に疑問を感じていた人はいなかったのだろうか。事故前に何度も通行したが、その時落下しても不思議なことではなかった。

 教員の勤務実態調査が公表(4月28日)されたが、それによると、2016年の中学校教員の57%が過労死の目安とされる月80時間を超える時間外労働をしているとのことだった。1週間あたりの平均勤務時間は、10年前と比べ5時間12分増えて63時間18分だった。過酷な勤務実態は随分前から指摘されているのに、一向に改善されないばかりか逆に増えてしまっている。

 学校現場に横たわる諸問題は数多い。どうしたらいいのかを分かっている人も少なくない。ではどうして改善されないのだろう。それは、分かっていても声を上げず、上げたとしても自ら行動できないからでもあろう。私は、「世の中を変えようと行動した人だけがこの世の中を変えられる」を信条としてきたが、改善できる立場の人が声を上げて行動すれば改善はできるのである。  (2017.5.23)

◇津波に対する避難訓練はなかったのか

 東日本大震災で大学の同級生が母親とともに亡くなった。車での避難の途中に津波に飲み込まれたのだった。同級生が特に親しみを感じていた男なので、生きていれば毎年どこかに集まっては同級会が開かれていたことだろう。

 後刻同級生たちでお悔やみに伺ったが、その時石巻市立大川小学校が大変な状況にあることを知った。全児童108人の7割、74人が死亡・行方不明。教職員10人を合わせると84人が被害に遭ったのである。

 地震が起きた時(14時46分)帰りの会の最中だったということだが、児童を校庭に集めた後は避難することなく30分近くも待機させ、5分もあれば避難完了する裏山には行かなかったのである。

 地震が起きた時、私は校長室にいたが、あまりにも長く大きな揺れ、窓から見えた大きな煙突が壊れて落下する様子に、これはただごとでは済まないだろうと思った。震源地から離れていたこともあってか校舎は幸い無事だった。しかし、校舎を繋ぐ連絡通路が壊れて通行できなくなった。

 3月11日は卒業式の翌日で、1・2年生が登校していた。生徒には崖崩れ、塀などの倒壊、落下物、交通事故等に十分注意するよう促し下校させたが、海沿いならば津波を真っ先に心配しただろう。サイレンが鳴り、広報車が高台への避難を呼びかけるなど、大津波警報が伝えられる中で、校庭に待機させた判断には、どう考えても納得できない。体験したことがないあの大きな長い揺れに我が家は倒壊しているかもしれないと思ったくらいだったが、被災地はもっとすごかったはずである。ここにいたら死ぬと言った児童がいたとのことだが、教職員はどう思っていたのだろう。納得して行動(避難)したのだろうか。  (2017.5.5)

◇「上に居て寛ならず」では

 生徒指導上の困難校として評判の中学校に、校長として異動することになったある校長はその学校を改革するとの強い思いをもって赴任したとのことだったが、5年間の在職中最後まで思うようにはならなかった。

 断片的に入ってくる情報だけではどうして改善しないのかを判断することはできないものだが、入ってきた一つの情報だけでその学校がよくなるはずがないと感じたことがあった。それは、校長が職員を叱りつけることが多く怒鳴り声がしばしば聞かれるということだった。

 以前のブログで、管理者を含めた教職員の心構えとして威張ってはならないと述べたが、威張る人は相手が逆らえないことを知って威張るのである。この学校の校長と職員には信頼関係は生まれないし、殺伐とした雰囲気の中では教育の成果など期待できない。

 教頭時代に職員から総すかんを食っていたある校長は、教頭には特に威圧的だったらしく、あと1年一緒だったら病気になっていたと語った人もいたが、その他の教頭も相当にストレスを溜め込んだようである。「教頭は、校長を助け、校務を整理し、及び必要に応じて児童生徒の教育をつかさどる。(学校教育法)」とあり、校長の補佐という立場もあるので忍耐を強いられる。

 このような校長の下では気持ちよく働けないだろう。学校から出る書類には校長印が必要なものが多い。校長が不在でなければ、通常、印をいただくために職員は校長室に行くことになるが、嫌な思いをした職員は教頭に印をもらってきてと頼むことになる。自分で行けばと言われても行かないのである。教頭だって行きたくはない。

 孔子は全く見どころがない救いようがないこととして、人の上に立って寛容さがないことを挙げている。寛容さは上に立つ者がもたなければならない大事な心得だろう。


 子曰く、上(かみ)に居(い)て寛(かん)ならず、礼を為して敬せず、喪に臨んで哀しまずんば、吾何を以ってかこれを観んや」  (2017.4.17)